『名もなき毒』(☆4.3) 著者:宮部みゆき

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どこにいたって、怖いものや汚いものには遭遇する。それが生きることだ。財閥企業で社内報を編集する杉村三郎は、トラブルを起こした女性アシスタントの身上調査のため、私立探偵・北見のもとを訪れる。そこで出会ったのは、連続無差別毒殺事件で祖父を亡くしたという女子高生だった。

 

杉村三郎が主人公と知って、とりあえず『誰か』を読んでこの作品に挑戦。
それにしても彼に再び会えるとは思いませんでした。だって大企業の広報部に所属するただのサラリーマンなんだもん^^;;

 

前作でもそうだったが、宮部みゆきならではの優しいタッチで描きながらもそこから滲み出る悪意を描くという構成は共通していると思う。
今回は物語の軸として連続無差別殺人が描かれている。著者で無差別殺人となると『模倣犯』が思い出されるが、『模倣犯』がなぜ殺人を起こしたのかという動機が中核であったのに対し、こちらはなぜ殺人を起こさなければならなかったのかという環境を中核にしていると思う。

 

今回の毒殺事件に関する犯人について同情の余地は無い。やはりそれがどうあれ殺人は殺人なのだ。それについては著者も妥協をしていないと思う。
ただそれは決して特別な人間に関して起きうるものではなく、一般的に普通と呼ばれている人にとっても十分に起きうるものだ。
タイトルの『名もなき毒』にも表されているように、本当に怖い毒というのは決して気付かない部分で浸透しているものであり、その毒の存在に気付いたとしてもそれに対処しうる方法が見つからない。毒殺事件の犯人もまた、ある意味安心しうる世界を求めようとしていたのだろう。

 

よりそれが顕著になるのは、この小説においてもう一人の犯人ともいうべき、原田いずみの行動だろう。
彼女は主人公達に仕掛ける嫌がらせの数々、また過去の人生においておこしてきた事件。その中には結果として人を死に至らしめてしまったものすらある。
それでもなお彼女が止まることが出来なかったのは、彼女自身が安住の地を求めながらも、何ゆえにそこが安住の地なりうるかという解答を持ち得なかったからなのだろう。
安住の地を得る事が出来なかったゆえに、彼女の中に潜む「名もなき毒」が溢れ、そしてその毒は周りにいた人達すらも蝕んで行く。
彼女自身にすらわからない毒の存在、それゆえに周りの人々もその毒が広がっていくのを止めることが出来ない。

 

前作に較べるとこの毒としての悪意の存在はより強烈に主人公に襲い掛かってくる。またそれは読者にとってもよりリアリティを持ってせまってくるのではないか。
主人公の杉村一家はある種理想的な家庭として描かれている。読者によってはこの部分にリアリティの希薄さを感じるかもしれない。
しかしそれもまた著者の計算の上ではないだろうか。より無色な人物を中心に据えることによって、答えの見つからない事件というものの難しさをより鮮やかに浮かび上がらせようという。

 

構成としては、中心に据えた「名もなき毒」というものの比喩としてのハウスシック症候群や土壌汚染という要素の使い方がやや中途半端になってしまったという点では前作の方を評価するが、ラストの杉村シリーズの続編を予感させる終わり方といい、この作風における著者のスタンスを表すという意味ではより明確に提示された作品なんだと思う。


採点   4.3

(2006.10.24 ブログ再録)