『うらなり』(☆4.2) 著者:小林信彦

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夏目漱石が『坊っちゃん』を書いたのは、明治39(1906)年。今年は100年目にあたります。校長の狸、教頭の赤シャツ、数学の山嵐、美術ののだいこ、そして英語のうらなり。個性豊かな教師たちのなかにあって、マドンナへの想いを断ち切って、延岡へと転任してゆくうらなりは、じつに寂しげで、印象の薄い人物ですが、さて、そのうらなりから『坊っちゃん』の世界をみるとどうなるか。さらに、その後の彼の人生はどのようなものだったのか。明治、大正、昭和を生きたひとりの知識人の心の風景を丹念に描く傑作です。

文芸春秋HPより

 

夏目漱石の『坊ちゃん』は近代文学の最高峰の一つとして知られており、平成の世になっても読み継がれている一冊です。
ばりばりの江戸っ子を認知して、周りを巻き込み猪突猛進する坊ちゃんを中心にした喜劇的要素の強い作品でしたが、はたしてそんな坊ちゃんに対して回りの人間はどう思っていたのか。
この作品は、英語教師うらなりの視点から『坊ちゃん』の作品世界を捉え、そして延岡に転任した彼がいったいどのような生活を送ったのかを描いたものですが、物語は坊ちゃんと数学主任の山嵐が松山を去ってから30年後、うらなりと山嵐が銀座で再会するところから始まります。
二人の会話は当然、松山時代の思い出に。

 

さてさて漱石の「坊ちゃん」をお読みの方はご存知かと思いますが、作中に坊ちゃんの本名を示すものはありません。なおかつ彼が坊ちゃんと呼ばれた場面はほとんどないんですよね。しかしながらうらなりの回想がそこに向う上で必然的に呼称で呼ばなければなりません。
ここで著者が取った手法が、まずうらなりは彼の名前を覚えていないと設定し、坊ちゃんを渾名で呼ぶ必然性を作り出します。かといって彼が坊ちゃんと呼ばれた(?)のはうらなりが松山を去ってのちの事。ということで、名無しの坊ちゃんにつけられた渾名は「五分刈り」。
見た目からつけたあまりにストレートな渾名ですが、その単純さが「坊ちゃん」の世界にしっくり馴染みます。

 

さて坊ちゃんの中では意外と登場シーンが少ないうらなり先生、その第1のハイライトはマドンナを巡る一連の出来事でしょう。
「坊ちゃん」におけるうらなりは、お人よしで優しすぎる好人物として描かれていましたが、この作品では決してただのお人好しというわけではなく、むしろ要領は悪いながらも彼なりの処世術をきちんと持った人物であり、彼にとって坊ちゃんは想像外の闖入者で理解しがたい人物として写っているのです。
この視点は「坊ちゃん」におけるうらなりのもうひとつのハイライトともいえる彼の送別シーンにも反映されています。

 

この視点は著者の「坊ちゃん」観に左右されたものです。著者にとって漱石の「坊ちゃん」は主人公の坊ちゃんを主体にした喜劇の裏に隠された、うらなり・マドンナ・赤シャツの三角関係、そして山嵐と赤シャツの確執を描いた人間模様の悲劇であり、うらなりや山嵐が作品の主体としての敗北者であったとしても、坊ちゃんは敗者でも勝者でもない第3者としての闖入者でしかないとい位置づけています。
こうすると作品の世界観は一変します。しますが、それは決して「坊ちゃん」の世界から大きく逸脱したものではなく、あくまで表裏一体のものとして成立しているので違和感はまったく感じません。

 

そしてこの作品におけるハイライトは、延岡から姫路に転居したうらなりがマドンナと邂逅する場面でしょう。
結婚を約束しながらも赤シャツに乗り換えたマドンナ、「坊ちゃん」の中ではかなり辛辣に描かれていた彼女との再会は、うらなりの心にどんな影響を及ぼすのか。

 

「坊ちゃん」の世界をうらなりというフィルターを通してみることにより、まったく別の物語を構築すしたこの作品。
漱石の愛読者、すくなくとも「坊ちゃん」が好きである人なら、一度目を通しても損はない作品だと思います。



採点   4.2

(2006.10.1 ブログ再録)