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『黎明に叛くもの』(☆4.8) 著者:宇月原晴明

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あらすじ

ペルシアの暗殺法を伝える山で刺客として育てられた美貌の稚児。志を胸に山を下りた少年は、長じて松永久秀と名乗り、京を手中に収める。織田信長より過激、斎藤道三よりしたたか―戦国一婆娑羅な悪党は、妖しの法を自在にあやつり、信玄、謙信、光秀はじめ群雄たちを翻弄する。虚と実の狭間に屹立する異形の戦国史

 

先行作品へのオマージュ

 

この作品は『信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』『聚楽 太閤の錬金窟(グロッタ)』に続く著者の「戦国三部作」の掉尾を飾る作品。
『信長~』→『ヘリオガバルス』(アントナン・アルトー)へのオマージュ
聚楽~』→『妖説太閤記』(山田風太郎)へのオマージュ
『黎明~』→『国盗り物語』(司馬遼太郎)へのオマージュ


感想

 

宇月原作品は「戦国三部作」の先行作品2作も未読で山本周五郎賞を受賞した『安徳天皇漂海記』を読んだのみだが、『安徳~』で不満を覚えた後半の失速を今回の作品はまったく感じられなかった。
なにより戦国時代の梟雄として知られる松永久秀と斉藤道三がイスラム系暗殺集団の秘術を受け継いだ義兄弟という着想がすごいと思う。
戦国の世に君臨する為に暗殺集団を離脱した二人の生き様を軸にしつつも、たんに彼らの伝奇冒険譚に収まることなく日本史史上唯一といっていい群雄割拠の時代を虚実織り交ぜて描く著者の筆致は、限りなく幻想的でありそして人間臭い。
またイスラム教を作品に持ち込むことにより、歴史のifに明快な解釈を持ち込むことに成功している。その解釈があまりに説得力を持つ為に読者はますます現実と虚構の境界線を見失い作品の世界に取り込まれてしまう。
これこそが宇月原作品の真骨頂というべき部分なのであろう。

 

また作品の大きなキーワードとして「黎明」という言葉がある。
黎明、この言葉を著者は作中で幾度も日輪に例え、覇王の運命を持つものの比喩として使っている。
自らを日輪の申し子と信じ行きようとした久秀、自らを日輪にあらずとしその敬慕を織田信長に捧げた道三。
二人の対比は鮮やかなるも、行き先に待ち受けるのは黎明にあらざるものの運命という儚い時代の傀儡に過ぎない。
作中久秀は暗殺秘術ともいうべき傀儡を常に傍らに携え、それを操りつつ時代を操ろうとする。
道三は自らを信長を黎明に導くための傀儡たらんとする。
久秀の操る傀儡の辿る道に隠された真実が、著者が作中に綿密に張り巡らせた伏線とリンクするときに浮かび上がる快感はまさに巧緻極まるといったところか。

 

傀儡という意味では、もう一人の主人公明智光秀もまた久秀により運命を狂わされた人物として描かれている。
久秀の所有していた伝説の茶器「平蜘蛛」の魔力に対し、なかば自覚的に飛び込んでいく彼を支えているのは信長夫人濃姫帰蝶)への思慕。
この濃姫も、史実の上でその生き様を語られることの無い人物である。
実在の人物でありながら架空の人物のごとき濃姫に憧れる光秀の生き方もまた「黎明に叛くもの」なのである。
久秀の死後、本能寺の変においてなぜ光秀が「黎明たる」信長を討たなければならなかったのか。
物語の最後、平蜘蛛の編み出す幻想の世界において光秀がたどり着いた真実(あるいは光秀の信じたもの)の余りに儚さと、それに対峙した光秀の心境はまさに作品の最後を飾るに相応しい幻想と現実の狭間の世界。
そういった意味ではこの物語の主人公はこの明智光秀だったのかもしれない。

 

歴史の実在とifがからみあう一大絵巻。伝奇小説の魅力がふんだんに詰まった傑作だと思う。


採点   4.8

(2006.9.22 ブログ再録)