『津和野の旅』(後編)

津和野の旅もいよいよ後半。
再び自動車に乗り駅の北側に向かいます。目的地は永明寺。
ほそ~い道を進むと小さな駐車場が。車を止め入り口の坂を上っていくと赴きのある山門が見えてきました。

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山門をくぐり、左手の墓地へ。そこに目的のお墓があります。
案内の標識も出ていたので、すぐに見つかりました。

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森林太郎之墓」。そうです、かの文豪森鴎外の墓があるんですね。
津和野出身の鴎外は、その死に際し文豪森鴎外としてではなく、津和野人森林太郎として葬られる事を望んだようです。
周りの墓石より若干大きいものの、いたって質素な造りのお墓に合掌。
ちなみにこのお寺にはもう一つ有名な人物のお墓があります。それがこちら

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「坂崎出羽守之墓」。え?知らない?
坂崎出羽守は関が原の合戦の功により津和野城主に命じられた武将です。
彼を有名にしたのは、大阪夏の陣でのある出来事。

落城目前の大阪城には豊臣秀頼に嫁いだ徳川家康の孫娘千姫がいました。
これを救いたい家康は家臣達に「救出した者には石高一万石を増やす。さらに命をかけたその者は千姫を娶るにふさわしい」と告げました。
その公約に死をかけたのが、坂崎出羽守。燃え盛る大阪城に孤軍突入し、見事千姫を救出しました。

ところが大阪城落城後、家康はこの約束を反古にし、千姫本多忠刻に嫁がせようとします。
これに怒った坂崎出羽守、姫の嫁入り行列を単身で襲撃し、千姫を奪おうとした。しかし失敗。
坂崎出羽守は捕らえられ自害、坂崎家もお家断絶となったのでした。

とまあこんな悲哀溢れる逸話を持った武将の墓がこれなんですね~。
千姫のエピソードは知っていましたが、津和野の武将だったとは知りませんでした。合掌。


再び車に乗り込み細い道を線路沿いに走ると再び駐車場が。
そこから伸びる山道を5分ばかり登ると、突然小さな聖堂が現れます。

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これは乙女峠マリア聖堂といいます。その由来は以下の通り。

 乙女峠は、明治維新後のキリシタン禁止令により改宗を迫られた長崎浦上のキリスト教徒たち(153名)が、幽閉収容された場所(浦上四番崩れ)。当時、津和野藩は神道研究で有名で、当主亀井茲監が神道による教道教化に相当な自信を抱いていたため、幕府は浦上の信徒の指導者たちをこの地に預けたのだという。他にも、鹿児島・萩・名古屋等の20ヶ所に、約3400人の信徒が預けられた。
 当初は津和野藩出身の国学者 福羽美静の指導で改宗の試みが行われたが効果がなく、藩は方針を転換し、拷問による棄教を迫り始めたのだという。
 乙女峠で迫害を受け殉教した信徒は、明治6年の帰国までに36名。中には子どもの姿もあった。
 マリア聖堂は、その鎮魂のため、津和野教会神父パウロ・ネーベル氏(別名岡崎氏)によって昭和26年に建立された。

キリスト教の弾圧というのは江戸時代までというイメージがありましたが、明治幕府もその初期にはその政策を踏襲していたのですね。
悲しいことです。しばし祈りを捧げます。

再び山道を下り車は津和野の中心部をひた走ります。
その途中、僕一人が車からおり歩き出します。目的地は太鼓谷稲成神社です。神社は山の上にあるので、僕のみが参道を登り足の不自由な父は母と共に車で先に登って待っています。
歩く事5分、いよいよ参道の麓に。立派な大鳥居の列が僕を迎えてくれました。

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荘厳な気持ちになりいよいよ参道に足を踏み入れると、参道を覆うとんでもない数の赤い鳥居が延々と続きます。

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続く、続く

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まだまだ続く。そういえばこの鳥居の道、内田康夫「津和野殺人事件」にも登場したと思うのですが、あまりす先生どうだったでしょうか?

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やっとこさ神社にたどり着きました。朱色が綺麗な荘厳な神社です。

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神社から津和野の街並みを見渡せます。携帯カメラなので画角が狭いのが残念。。。

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本当はここからロープウェーで津和野城址に行けるのですが、雨上がりと父の体調を考え車で下山。
森鴎外記念館に向かう途中西周旧居に立ち寄ります。

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西周は津和野出身の、明治時代を代表する啓蒙家です。(詳細はこちら
福澤諭吉とともに西洋語の「philosophy」を音訳でなく翻訳語として「哲学」という言葉を創ったほか、「藝術(芸術)」「理性」「科學(科学)」「技術」など多くの哲学・科学関係のことばを考案したことでも有名な人です。
そんな有名な人の旧宅とは思えない、広さはあるものの質素な感じの建物で、畑の真ん中にポツンという感じで意外でした。

そしてついに最終目的地「森鴎外記念館」へ・・・と思ったら衝撃の事実が。
なんとすでに閉館時間を過ぎている。ああ、行きたかったのに。こうなると雨宿りのロスが惜しまれます。
しょうがないので、同じく閉館時間が過ぎた森鴎外旧宅を外から眺めて津和野の旅は終了。

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後ろ髪を引かれる思いで、今日の宿泊地である山口県湯田温泉に向い車を走らせるのでした。。。