『信長の原理』(☆4.2) 著者:垣根涼介

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 吉法師は母の愛情に恵まれず、いつも独り外で遊んでいた。長じて信長となった彼は、破竹の勢いで織田家の勢力を広げてゆく。だが、信長には幼少期から不思議に思い、苛立っていることがあった――どんなに兵団を鍛え上げても、能力を落とす者が必ず出てくる。
 そんな中、蟻の行列を見かけた信長は、ある試みを行う。結果、恐れていたことが実証された。神仏などいるはずもないが、確かに“この世を支配する何事かの原理”は存在する。そして、もし蟻も人も同じだとすれば……。
 やがて案の定、家臣で働きが鈍る者、織田家を裏切る者までが続出し始める。天下統一を目前にして、信長は改めて気づいた。いま最も良い働きを見せる羽柴秀吉明智光秀丹羽長秀柴田勝家滝川一益。あの法則によれば、最後にはこの五人からも一人、おれを裏切る者が出るはずだ――。


Amazonより

 垣根涼介さんの作品はこれが初読。

 当時の戦国大名たちのなかでも極端なまでに過去の慣例や信仰を廃し、領土経営でも革新的な試みを行いながらも、天下統一を目前に部下である明智光秀の裏切りにより京都・本能寺でその生命を散らす。
 ある程度歴史好きの男性陣だけではなく、学校の日本史や大河ドラマを齧っていたら、知らぬものはいない織田信長の歴史。伝奇小説ではなく、あくまで歴史小説だけにその大枠は変わらず、信長の運命は読者にとっては既成の事実。

 この小説の特徴は、革命児でありながら一方で癇癪持ちで敵味方を問わず過激な言動をみせたと言われる信長の心理を、「パレートの法則」という統計理論を基に描いているということ。ちなみにパレートの法則というのは、

組織全体の2割程の要人が大部分の利益をもたらしており、そしてその2割の要人が間引かれると、残り8割の中の2割がまた大部分の利益をもたらすようになるというものである。(ウィキペディアより)

というもの。信長は小さい頃実の母親にすら疎まれたていた中で、ひたすら観察をしていたアリの群れの行動から、この理論に気づきます。実際に信長が気づいた理論はパレートの法則の亜種である、働きアリの理論。それは、

・働きアリのうち、よく働く2割のアリが8割の食料を集めてくる。
・働きアリのうち、本当に働いているのは全体の8割で、残りの2割のアリはサボっている。
・よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。
・よく働いているアリ2割を間引くと、残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、全体としてはまた2:6:2の分担になる。
・よく働いているアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。
・サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。

というものであり、信長はこの法則が人間の世界に適用されるのかという検証を日々の鍛錬や実践のなかで観察していきます。

 この小説の中での信長は激情家であり理想家でありながら、一方で理論を追求しそこから自らの行動原理を導き出していくという、ある意味相反する矛盾を抱え込んでいきます。人間界における働きアリの理論の転用を確信しつつも、織田家繁栄の為にその理論を崩し最強の家臣団、軍隊を作るために模索を続ける信長。しかし、どのような方法を取ろうともその理論を覆す事が出来ない。

 そこで信長は自らの行動原理を突き詰め日本統一のため新たなる方法を考えます。その方法については実際に本を読んでもらいたいですが、狂気スレスレの独創であり、伝わっている歴史上の信長の行動にリンクしていきます。実際の信長がこれを考えていたかは別にして、作者の構想と史実の組み合わせとしては非常に面白いなと思います。

 その独創性ゆえに、信長の原理は当然部下たちからは理解されるものでもなく、信長自身もあえてそれを説明しない(説明すれば部下たちから反発がおこるだろうし)為、状況だけをみると部下たちは信長に惹かれながらも、一方で恐怖を感じます。

 その信長の原理を作中で理解しているのが、のちに信長の後継者として日本統一を果たす羽柴秀吉豊臣秀吉)と、謀反により信長を追い詰めることになる明智光秀。戦国時代からの転換に大きな役目を果たすことになった信長、秀吉、光秀という三者が一つの理論を人というフィルターを掛ける事により、それぞれ異なる行動原理として消化していくという作者のアイデアは、この小説が歴史小説でありながら、既成の作品とはまた違う新しい世界を読者に提示してくれたと思います。

 歴史小説にあるワクワク感というのはそこまで強くないかもしれませんが、こういったアプローチも実に面白いなと思います。史実を踏まえているので歴史が苦手とか興味が無いという方には、というところはあるかもしれませんが、逆に歴史小説好きならぜひ読んでもらいたい小説だと思います。



採点  ☆4.2