『幻の女』(☆4.6) 著者:ウイリアム・アイリッシュ

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妻と喧嘩し、あてもなく街をさまよっていた男は、風変りな帽子をかぶった見ず知らずの女に出会う。彼は気晴らしにその女を誘って食事をし、劇場でショーを観て、酒を飲んで別れた。その後、帰宅した男を待っていたのは、絞殺された妻の死体と刑事たちだった!迫りくる死刑執行の時。彼のアリバイを証明するたった一人の目撃者“幻の女”はいったいどこにいるのか?最新訳で贈るサスペンスの不朽の名作。

Amazonより

“The night was young, and so was he. But the night was sweet, and he was sour.”
「夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。」

 冒頭部分があまりにも有名な古典ミステリ。稲葉明雄氏の訳があまりに名訳なので、黒原敏行氏の新訳でも許可を取った上でそのまま使用されてます。旧訳を読んでいないので比較は出来ませんが、新訳は雰囲気も良くて非常に読みやすかったです。

 妻マーセラと喧嘩をして街をさまようスコット・ヘンダースン。偶然であった帽子が印象的な女性と一時を過ごし家に戻ると、妻が殺されていた。逮捕された男のアリバイを証明できるのは、その夜一緒に過ごした女性だけ。しかし、その女を目撃したものは誰もおらず、男に死刑判決が降る。

 死刑執行が迫る中、彼の無実を証明するために不倫相手のキャロルと、スコットの旧知の友人であるロンバートが幻の女を探す為に街を駆け回る。まるでヘンダースンの幻影だったかのように誰も目撃してないと証言する、それでも少しずつ女に近付こうとするが、まるで悪意が存在するかのように証言者達が消えていく。

 いわゆるタイムリミット物で、章題も「死刑執行○○日前」で統一。幻の女に届きそうで届かないジリジリした展開、さらには章題だけで本文が無い章もあったりして、それだけで追跡劇が行き詰まってることを見せてくれます。このあたりの表現ってなかなか大胆だけど効果的。

 なにより、物語の展開のスピード感が半端ないです。死刑執行までタイムリミットがあるという緊張感と、幻の女の追跡劇という謎に満ちたスリルのバランスが実に絶妙。正直、ヘンダースンにあまりに記憶が無いところ(そこまで女の顔が覚えてないのはどうよ!!)だったり、結構な偶然があったりと、プロット優先で作り込みすぎなところはありますが、そのプロットが実に優れていてるので、物語として最初から最後まで一気に読ませます。

 読者には幻の女が存在することが分かっているし、それでも存在しないことになってるとすれば、たぶん・・・と想像出来ないことはないかもしれません。発表から時代が経っていることを考えれば、もしかしらた当時読んだ人に比べたら、事件の真相は目新しくなくなってるかもしれません。

 それでも、物語全体としてプロットが優秀なので、小説として読んだ場合色褪せない魅力を放ってます。真相の構造自体が今や珍しいものではなくなったとしても、その見せ方が秀逸であれば真相に驚くことが出来るという非常に良い見本、やっぱり名作は名作です。一度読み終わったあと、その真相を頭に入れながら再読すると、作者がいかに細部に注意を払ってプロットを組み立てているかが確認できると思います。

 過去の名作は時としてその訳文が今の時代読みにくくなっている例があるかもしれません。この小説の過去の訳がそうだということはありませんが、過去の名作と言われた作品の新訳が相次いで刊行されているので、今が手に取るチャンスかもしれませんね。


採点  ☆4.6