『羊と鋼の森』(☆4.0) 著者:宮下奈都

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 高校生の時、偶然ピアノ調律師の板鳥と出会って以来、調律に魅せられた外村は、念願の調律師として働き始める。
 ひたすら音と向き合い、人と向き合う外村。個性豊かな先輩たちや双子の姉妹に囲まれながら、調律の森へと深く分け入っていく―。
 一人の青年が成長する姿を温かく静謐な筆致で描いた感動作。

Amazonより

 形の無いものを言葉にし伝えることは難しい。

 高校生の時、偶然ピアノの調律に出会った外村。彼は特別に耳が良いわけでも、ピアノが弾ける訳でも無い。ただ、音の表現する世界に鋭敏で、豊かな感受性を持っている。
 そんな彼が運命のようにピアノの調律と出会い、そして調律を通して様々な人と出会い、成長していく。

 ピアノの音に触れたことが無い人はいないだろう。そして自宅にピアノを持っている人のほとんどが、一度は調律の場面に出会った事があるだろう。
 我が家にもピアノがあり、小さい頃は自分も弾いていた時期があった。だから、調律の場面に出会った事もある。当然の風景だからだ。

 そんな当然の風景で、これだけの物語が眠っていると思わなかった。ピアノの調律はただ音階を合わせるだけだと思っていた。それが、ピアノの価値、ピアニストの腕に合わせて調律をするだけではない。そのピアノが置かれている場所、奏でられる瞬間の風景、そしてプロアマを問わないピアノを奏でる人の思い、すべてに心を配り調律をしているなんて。

 ピアノを奏でるのはピアニストにしか出来ない。けれど、ピアニストが奏でる音を作るのはピアニストだけでない、調律師、空間、聴衆、ピアノの音に関わるすべての存在が作りだす。

 それはまるで人生のようだ。ピアノが一人で音を奏でる事はできないように、人は、誰にも関わらず生きていくことは出来ない。何かと関わる、たとえそれが人ではなくても、その瞬間人は変わっていく。まるでビアノの連弾が、聞き慣れた音楽に新しい世界を吹き込むように。
 
 調律の世界を通して外村は成長していく。そして成長していくのは外村だけではない。外村が調律を通して出会った双子の姉妹は、時には残酷な運命を背負いながらも、ピアノを通して、自分の未来を奏でていく。

「ピアノで食べていこうなんて思ってない」
和音は言った。
「ピアノを食べて生きていくんだよ」

 双子の姉妹が見せる覚悟の表現。この小説の核にして、自分が信じる未来を進む強さを感じさせる。たとえ共感できなくても、読み手を登場人物の思いで包む言葉が溢れている。

 そう、の小説のもっとも惹きつけられるのは、言葉の巧さだ。外村の感情を通して表現されるピアノの音、それはタイトルの言葉「羊と鋼の森」。ピアノの弦を鋼、弦を叩き音をだすフェルト部をその素材に例えて羊と表現する。

 なにより、羊と鋼が作り出す世界を森と表現することで、音を擬態化させる。ビジュアルとしての森は誰でも容易に思い浮かべることが出来る。暗闇に音も風景も沈むこむ、まるで永遠の静謐のような、畏怖すら感じさせる森に誰もが一度は出会ったはずだ。
 条件により様々な形にその印象を変えながら、それでもビジュアルが醸し出す雰囲気を容易に想像させる森を音の比喩として表現する事により、ピアノが奏でる音が読み手の脳内で再現される。

 もしかしたらそれは同じメロディではないかもしれない。その人が見る森や、聴こえるメロディの世界は、その人がそれまで歩んできた道で違うかもしれない。でも、どれも正解なんだ。それがその人にとっての、森であり、メロディなんだから。



採点  ☆4.0