『去年の冬、君と別れ』(☆3.0) 著者:中村文則

去年の冬、君と別れ

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 ライターの「僕」は、ある猟奇殺人事件の被告に面会に行く。彼は二人の女性を殺した罪で死刑判決を受けていた。だが、動機は不可解。事件の関係者も全員どこか歪んでいる。この異様さは何なのか? それは本当に殺人だったのか? 「僕」が真相に辿り着けないのは必然だった。なぜなら、この事件は実は――。

Amazonより

 例によって、映画化になったのを機に見に行く前に原作を。中村文則さん、名前は知ってるし話題になった『教団X』の買ってあるんですが積読状態なので、これが初読。
 うーむ・・・・・・・・これは感想に困るなぁ。何を言ってもヒントというかネタバレになりそうな。

 語り手であるフリーライターの「僕」は猟奇殺人事件の容疑者である写真家に、取材中に問いかけられる、

「覚悟は・・・・ある?」
「想像してみるといいよ。異様な犯罪を犯した人間の話を、そんな至近距離で、内面の全てを開かされる。・・・まできみの中に、僕を入れていくみたいに。」

 想像はしてたけど、こういう系統の作品なんだなと読み進める。けれど、いくら読み進めても登場人物の実体が浮かび上がらない。いや、浮かび上がっているいるんだけど、どこか空っぽのような器のような居心地の悪さ。なにより語り手が、なぜ彼を取材対象にしたのか、掴めそうで掴めない。
 容疑者である彼の存在はサイコパスを想像させるが、それが怖いというよりも、サイコパスに見える姿は本当の彼の姿なんだろうか、と漠然と感じてしまう所に恐怖を感じる。

 形式としてはミステリの体裁を取っている。しかしそれはあくまで形式の問題であり、ミステリを描きたかった、のとは微妙に違う気もする。描きたいものがあって、それを表現するためにミステリという枠組みを利用したんだろうと思う。

 作者の描きたかったもの、それは人が人であるべき境界線だったのかもしれない。語り手を通して事件を見なければいけない、という事は語り手が語る物語は本当のことなのか、という疑問がついて回る。ミステリという形式を採っている事により、その疑念は増幅される。語り手を含めた登場人物のどこか空虚な存在感が、人が人であるべき境界線を揺るがす。終盤明らかにされる真実、それによって突きつけられる境界線の問題は、ミステリという手法を採るからこそ成立するものである。

 但し、ミステリとして謳っている以上、読み手はそこに何かを期待する。その部分に関してはおそらく肩透かしを食うだろう。新鮮味に欠けるし、最後の一文に関してはその目的をうまく達してるとは思えない。最後の一文に関する材料、あるいはヒントは作中に散りばめられているが、それが分かったとして著者が狙っている効果が出ているかは疑問であり、それを狙うのであればもう少し構成を考えなければいけないと思う。

 著者の狙いであろうことそのものは嫌いではないし、ミステリという手法を取ったこと自体は手段として間違いなかったとは思うけれども、器の作り方において不慣れな部分が出てしまっている。このなんともいえないカオス感が作品と有機的に絡まれば、もっと突き刺さる小説になったのでは、と思う。



採点  ☆3.0