高校時代のクラスメイト・山内桜良(浜辺美波)の言葉をきっかけに母校の教師となった【僕】(小栗旬)。 彼は、教え子と話すうちに、彼女と過ごした数ヶ月を思い出していく―。 膵臓の病を患う彼女が書いていた「共病文庫」(=闘病日記)を偶然見つけたことから、【僕】(北村匠海)と桜良は次第に一緒に過ごすことに。だが、眩いまでに懸命に生きる彼女の日々はやがて、終わりを告げる。 桜良の死から12年。結婚を目前に控えた彼女の親友・恭子(北川景子)もまた、【僕】と同様に、桜良と過ごした日々を思い出していた―。 そして、ある事をきっかけに、桜良が12年の時を超えて伝えたかった本当の想いを知る2人-。 * 監督:月川翔 * 脚本:吉田智子 * 原作:住野よる『君の膵臓をたべたい』(双葉社刊) * 山内桜良 - 浜辺美波[16] * 「僕」 - 北村匠海(DISH//)[16] * 恭子(学生時代) - 大友花恋 * 一晴(ガム君) - 矢本悠馬 * 隆弘 - 桜田通[16] * 栗山 - 森下大地 * 宮田一晴(現在のガム君)- 上地雄輔 * 桜良の母 ‐ 長野里美 * 恭子 - 北川景子[16] * 現在の「僕」 - 小栗旬[16]
映画になってたのは知った上で原作を読みましたが、その時の印象は「なるほど〜こりゃあすぐ映画化の話は出るよね」って思いました。
観終わったあと、というよりは観てる途中から思ったことは「原作物の映画って、やっぱりいろいろと難しいよね」という事でした。普通に考える遠く昔から難病物の映画は珍しくないし、SFやコスプレ必須のマンガ原作の映画化みたいにビジュアルイメージと闘わなくて言い訳でそういった意味では決して高いハードルじゃなかったとは思います。
原作では、主人公とヒロインの距離は、恋なのか友情なのか信頼なのか分からない微妙な距離感の中で、死を感じさせない前向きすぎるように見えるヒロインへの冷静なツッコミや、誰とも必要以上の関係を作ることを拒否していた主人公のキャラクターと相まって、イベント(ケーキ屋だったり旅行だったり)のシーンがひたすら微笑ましかったのですが、いざ実写で映画化するとそのへんの曖昧な距離感をすべてすっ飛ばして、妙に生々しく感じました。
役者陣の演技は悪くなかったと思います。必要以上にコミュニケーションを取ろうとしないクールというか頭でっかちの主人公を、北村匠海くんがいい意味で普通の高校生レベルに落とし込んでいたし、ちょっと独特な喋り方の元気いっぱい前向き(にみえる)ヒロインを、浜辺美波さんがまあ過剰にならない等身大のそれでいて抜群の可愛さで演じてます。ほんとに二人が醸し出す空気は、キュンとする等身大の輝きを放ってました。
あまりに等身大すぎて、二人の間に観客として淡い恋の予感を感じてしまう訳で、そうすると旅行先のホテルで一緒の部屋に泊まる場面や、彼女の家を尋ねる場面に原作以上の生々しさがあって、そこはある意味原作の魅力とは違う部分が出過ぎたかなと感じました。
ただ、原作と切り離して考えれば、恋愛ものとして二人の距離感は有りだと思うし、案外原作を読んでなかったらそこに生々しい違和感は感じないのかなと思いました。
ただ、原作と切り離して考えれば、恋愛ものとして二人の距離感は有りだと思うし、案外原作を読んでなかったらそこに生々しい違和感は感じないのかなと思いました。
また、映画オリジナルの要素として、ヒロインの一番の親友であったキョウコと、大人になった主人公のエピソードがありました。なんだか他の映画でもあったような追加要素ですが、原作のファンからしたら賛否両論だと思います。
それぞれの名前のについて特殊な処理の仕方をしてた原作の設定は直接映画に持ってきてもまったく成立しない部分。それを映像化にするにあたって、その表現方法が狙ってたであろう効果を生み出すためには、という一つの手段として、個人的には有りだったと思います。ただ、いくらなんでもあのエピソード部分を結婚式場でやらなくてもいうか、普通に変質者になってしまいます、主人公が^^;;
それぞれの名前のについて特殊な処理の仕方をしてた原作の設定は直接映画に持ってきてもまったく成立しない部分。それを映像化にするにあたって、その表現方法が狙ってたであろう効果を生み出すためには、という一つの手段として、個人的には有りだったと思います。ただ、いくらなんでもあのエピソード部分を結婚式場でやらなくてもいうか、普通に変質者になってしまいます、主人公が^^;;
それにしてもよくある難病ものの映画と言いながら、病気で苦しむシーンはほとんど描かれないというのも珍しいのかもな〜。