洋画『パトリオットデイ』(2016年アメリカ)

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* 監督:ピーター・バーグ
* 脚本:ピーター・バーグ、マット・クック、ジョシュ・ゼッツマー

* トミー・サンダース - マーク・ウォールバーグ :ボストン警察 巡査部長
* リチャード・デローリエケヴィン・ベーコン :FBI特別捜査官
* エド・デイヴィス - ジョン・グッドマン:ボストン警察 警視総監
* ジェフ・ピュジリーズ - J・K・シモンズウォータータウン警察 巡査部長
* キャロル・サンダース - ミシェル・モナハン:トミーの妻
* ジョハル・ツァルナエフ - アレックス・ウルフ :爆弾テロ事件の犯人(弟)
* タメルラン・ツァルナエフ - セモ・メリキッゼ :爆弾テロ事件の犯人(兄)



 実際に2013年に起きたボストンマラソンでの爆弾テロ事件の発生から顛末までを、実際の映像を交えながら描いている。

 運命の日の前日、出場、歓声、警備の立場としてその日を迎える人達の日常、そして犯人の2人の様子が映し出される。テロ事件が起きることを知っているこちらとしては、その平和な日常の先に待つものとのギャップにこの時点で胸が詰まりそうになる。

 2つの爆発、逃げ惑う人、倒れる人、動けない人。地面に倒れている子供を置いて救急車で運ばれる親。。
被害者も加害者も、捜査を担当する警察官たちも否応なく非日常の世界に巻き込まれていく。
もっとも端的なシーンが、爆弾で命を落とした子供の遺体が、捜査の為と布一枚掛けられたまま路上に置き去りにされている所だったと思う。
 命令を下したFBIとしては捜査の手順として日常茶飯事の行為だが、人としての倫理観としては受け入れるのが酷な処置だと思う。遺体の見張り役を務める警官のクローズアップが何度か映し出されるが、少年の遺体を見つめる彼の葛藤が垣間見える眼差しが印象的だった。

 また、事件現場での役割を終え一端自宅に戻った主人公を迎えたのは、事件の詳しい内幕を聞きたがる知人(親族)達の姿だ。彼らにとって、画面越しに見る爆発テロ事件は、「事件の裏側を知るため」にニュースを見るという日常の行為の延長に過ぎない。そんな彼らの行為に怒りを爆発させる主人公に寄り添ったのは、ただ一人荷物を届ける為に現場を訪れ事件に遭遇した妻だけ。ちょっとしたこの場面だけで、いかに事件が非日常な出来事だったか、経験しているものとそうでないものの温度差を表していた。

 事件が起きた後も、事件が起きたことを忘れているかのような普通の日常の場面と、進展しない捜査に苛立つ警官達の姿が交互に映し出される。どちらの場面も過剰に演出をされていないので、より事件の悲惨さを感じさせられるし、被害者の悲劇がクローズアップされる。

 3.11を始めとしたテロ事件だけでなく、国内外での戦いを経験しているアメリカの捜査方法はすごい。日本であれば同じ手段を取ったとしても、許可願い→審議→調整→命令といった工程の中で無駄に時間を過ごすかもしれない。事件以後の影響(イスラム教への排他的行動の誘発など)を考えて、容疑者の写真の公開を躊躇する場面もあったけれど、犯人を捕まえる(一人は死亡してしまうが)までの時間は決して掛かり過ぎというのでは無いような気がする。

 クライマックスの一連の銃撃場面について、どこまでは実際に起きたことでどこからか脚色か分からない。日本人からしたらそこでいきなり一斉射撃、銃撃戦ですかと思うのだけれども、アメリカの法で考えたら自然な行為なんだろうと思う。只、そこまで淡々と事実(とそれに基づいたフィクション)を描いていただけに、急なアップテンポ感は正直戸惑った。
 
 犯行の動機について、映画の中で直接的に語られる場面は殆ど無い。ただ、強奪した車の中で3.11はアメリカの自作自演だと激高する容疑者の姿からすると、聖戦(ジハード)を目指したのではないかと思われる(実際の動機ではなく、映画の中での動機)。

 実際終盤の展開がボストン(アメリカ)万歳的のように見れないことも無いし、実際そういう批評もあると思う。悪魔に勝つのは愛の力だ、と語られる。ここでいう愛は家族は友人はもちろん、ボストンという自分たちの街への愛、突き詰めていくと国家への愛国心まで繋がっていく。

 この事件だけ切り取れば、ボストン市民(アメリカ国民)が善で容疑者が悪魔と言えるのかもしれないが、果たしてアメリカが常に一方的に善で、アルカイダに代表されるイスラム過激派が悪魔なのかというと誰もが悩むところだと思う。容疑者の妻が語る「夫と神、二人の主人に捧げる愛」を誓っているからと一切の証言を拒否する場面について、イスラム教(というより宗教の過激的な側面)が印象に残るけれども、アメリカ国民の愛国心も、見方を変える時宗教の狂信性と表裏一体なのかもしれない。

 映画としては脚色を最低限に抑え、実際の映像を交えることによりドキュメンタリー性を高めて胸に迫ってきたし、こういう映画を作らせたらアメリカという国は本当に上手いなぁと思う。まずはテロの悲劇性を認識して、テロはダメだと思うのでいいんじゃないか、という事で単純に観てもオススメできる。