『月明かりの男』(☆3.2)  著者:ヘレン・マクロイ

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 私用で大学を訪れたフォイル次長警視正は“殺人計画”の書かれた紙を拾う。決行は今夜八時。直後に拳銃の紛失騒ぎが起きたことに不安を覚え、夜に再び大学を訪れると、亡命化学者の教授が死体で発見された。現場から逃げた人物に関する目撃者三名の証言は、容姿はおろか性別も一致せず、謎は深まっていく。
 精神科医ウィリングが矛盾だらけの事件に取り組む、珠玉の本格ミステリAmazonより

 精神科医ウィリングが探偵役をつとめるシリーズの第2弾。今作はこれまで翻訳されてなかったという事で、今回が本邦初公開ということになります。

 冒頭でいきなり読者の目の前にあらわれる殺人予告(風に吹かれて登場というのはある意味前代未聞?)。その予告通りに決行された殺人現場から逃走した人物に関する目撃者達の証言は、すべてバラバラだった。真相を追うウィリング博士たちを嘲笑うかのように事件が続いていく展開は、

 1940年に発表された作品ということで、作中の時代設定も第2次世界対戦頃。事件の序盤から当時欧州で猛威を奮っていたナチス・ドイツの存在が描かれていたり、当時の世俗を反映されています。さらには当時開発されたばかりの嘘発見器も捜査の中で活用されていきます。嘘発見器の結果分析や容疑者達の言動における検討のシーンなど、ヴァン・ダインの初期長編、あるいは江戸川乱歩の『心理試験』を彷彿させるところもありますし、20世紀前半の推理小説界においてはもしてかして流行的な所もあるのかもしれませんね。

 一方で、肝心の(?)嘘発見器の信憑性であったり、後半明らかになる容疑者の一人の隠された秘密に関する部分など、時代を経て発達した現在の精神医学の視点から見てどこまで正しいのか測りかねるところもあり、そういった部分においては発表からの時代の経過が作品の面白さを若干損ねているという印象を持つ人もいるかもしれませんが、作品の盛り上げとしては一定の効果を上げていると思います。

 また、そういったある程度専門知識が必要かなと思われる部分においてこちらが理解できなかったとしても、作中に散りばめられた様々なヒントを基に読者にも純粋に推理において一定の真相に辿り着く事が可能となっているのは、本格ミステリとしての完成度の高さが感じられますし、実際事件の真相が明らかになったあとには、さらっと読み流していたところに犯人を指摘する重要なヒントが書かれていたことに「やられた〜」と思ってしまいました。

 第2時世界大戦の暗い影が作品に影響を与えているところなどは、当時の世相を考えるとアメリカだから発表出来た(あるいはアメリカだから書けた)だろう連合国(米英側)と枢軸国(日独伊)の駆け引きの部分などサスペンスとして盛り上げがあります。一方でそのスケールのまま終わってしまうと、狭義の本格推理小説というよりはもっと違うジャンルの話になって、それまでの展開から浮いてしまうというか、作品の雰囲気にそぐわないチグハグな読後感になってしまったかもしれませんが、最後はきちんと動機であったりの部分を個人のレベルまで引き戻していますし、登場人物達のそれぞれの立場での思惑や行動心理などは、実際に今の時代の読者にも十分理解できる俗っぽさがあり、読み終わると非常に腑に落ちました。

 ただ欠点なのかな、と思うところはあります。真相が明らかになった所で読者も何処の段階でウィリング博士が容疑者を絞り込んだかが分かるのですが、分かってしまうともう少し博士が上手く立ち回っていたら、事件はもっと早く解決したんじゃないか、というところは感じました。ただ探偵役のこういった行動は、古き良き推理小説ではよく見られる傾向(金田一とか金田一とか金田一とか)であり、作者だけの欠点だけではないといえるかもしれません。

 あとは以前から邦訳されていた、これ以降発表された他の作品を読んでいると、この作品の容疑者リストから減ってしまう人がいるので、初めてウィリング博士シリーズを読むんだよ、という幸運な人は発表順に読まれたほうがいいかもしれません(私も一作目の『死の舞踏』は未読ですが)。

 発表からの時代の経過を感じさせる部分、あるいは感じさせない部分の両方があるという点では少し好みが分かれるかもしれないし、今まで読んだマクロイの作品の中では特段好きと云うことはなかったのですが、推理の過程の楽しさ、最後の最後まで真相の全貌が明らかにならないワクワク感は水準以上の作品だとは思います。



採点  ☆3.2