『美しい星』 著者:三島由紀夫

イメージ 1

  地球とは別の天体から飛来した宇宙人であるという意識に目覚めた一家を中心に、核兵器を持った人類の滅亡をめぐる現代的な不安を、SF的技法を駆使してアレゴリカルに描き、大きな反響を読んだ作品。著者は、一家を自在に動かし、政治・文明・思想、そして人類までを著者の宇宙に引き込もうとする。著者の描く人類の運命に関する洞察と痛烈な現代批判に充ちた異色の思想小説である。


Amazonより

 文学部国文学科、そして近現代専攻にも関わらず、これが三島由紀夫初体験。この原作の映画が中々に衝撃的で、さらに勝手にイメージしていた三島由紀夫のイメージからかけ離れていたので、いったい原作はどんな話なんだ!?と、興味津々。

 中心となるのは飯能に住む大杉一家。夫婦に一男一女、当時としては一般的な中流家庭だと思うのでは在るが、ある日家族全員が自らを宇宙人であるという事を自覚する。それも皆が同じ星の出身というのではなく、父・重一郎が火星人、母・伊余子が木星人、長男・一雄が水星人、そして長女の曉子が金星人というわけで、なかなか複雑。
 作中の言葉を引用するなら

 分かりやすい説明は、宇宙人の霊魂が一家のおのおのに突然宿り、その肉体と精神を完全に支配したと考えることである。

 冒頭の語りからはもろにSFだけれど、じゃあ完全にSF系の作品かというと、それ以上に全編に渡って語られる政治であり、環境であり、人間でありといった部分の思想的な部分が強く印象に残ります。
 大杉家の面々に関しても、それぞれの星の立ち位置が地球上での思想であったり、または宗教に置き換えられるような気がします。宗教的に捉えるなら、家族の中で金星人としての矜持を貫く曉子が教祖、そしてそれを支える事務局的な役割としての重一郎、客観的に物事を見つめる信広報的な信者である一雄、そして無償の信者である伊余子。

 それぞれが宇宙人としてのアイデンティティを持ちながら、それでもなお地球人としての家族として成立させているのは、地球という今自分たちが仮に住んでいる場所への危機感であり、その危機を救い「美しい星」へと導くという、人間より上位である神として、指導者たらんとするその心であると思います。
 地球に危機ををもたらすのは国家であり、その国家を維持しているのは政治家であり、そしてその政治家を選んでいるのは人間である。様々な活動を通して、重一郎は地球の危機への警鐘を鳴らします。もしかしたら、その根源にある平凡な地球人である人間に対しての葛藤は、現実世界における個人・三島由紀夫としての葛藤に繋がるのかもしれません。

 そして地球を構成する国家、その構成員たる人間への葛藤は、小説後半で白鳥座第61番星から来た(?)須藤達三人組との対決に集約されています。
 人間の宿痾的な病巣として、事物への関心、人間への関心、神への関心の欠陥の指摘から始まり、当時の世界情勢であるアメリカと旧ソ連との核危機問題、人間として世界に与える影響についての無自覚を指摘され、苦しむ重一郎。その過酷なまでの対極的な観念の放出というべき討論は、そのどちらともが三島由紀夫の叫びに感じられてしまいます。

 火星人としても地球人としての肉体が打ちのめされてもなお、彼は地球に暮らす火星人としての矜持を持ち続けます。重一郎だけでなく、大杉家の誰もが、自らの出自と、地球に暮らす存在としての制約に苦しみながら、自らのアイデンティティの源を守ろうとする姿は、例えその思想がどう捉えられ、時には傷つきながらも信念の道を突き進まざるを得なかった三島由紀夫の代替なのかもしれません。

 ラストで大杉家が見た光景は、救済なのか、それとも諦念なのか。SFという非現実的な構造を主体としながら、なお現代に生きる人間を切り取ったこの作品は、もしかしたら、三島由紀夫の一つの到達点なのでしょうか。

 この小説を読んで、三島由紀夫をもっと読みたくなりました。そして、この小説に出会わせてくれた映画にも感謝です。




採点  ☆4.6