『ユリゴコロ』(☆3.6)  著者:沼田まほかる

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 亮介が実家で偶然見つけた「ユリゴコロ」と名付けられたノート。それは殺人に取り憑かれた人間の生々しい告白文だった。創作なのか、あるいは事実に基づく手記なのか。そして書いたのは誰なのか。謎のノートは亮介の人生を一変させる驚愕の事実を孕んでいた。
 圧倒的な筆力に身も心も絡めとられてしまう究極の恋愛ミステリー!


Amazonより

 初沼田さん。知りませんでしたが、映画化されるんですね、この作品。しかも熊切監督って。

 粗筋から勝手にバリバリのサイコ物なのかな、殺人に取り憑かれたとは違うのかもしれないけれど、例えば「殺人鬼フジコの衝動」みたいな、と思ってました。

 メインの語り手である亮介が実家から発見した「殺人ノート」。書いたのは事故死した母か。そして書かれた事は創作なのか、事実なのか。もし書かれた事が事実であれば、もしかしたら自分の親が殺人鬼なのかもしれない。
 語り手である亮介の視点と、ノートの描写が交互に描かれる。ノートの語り手は自分に感情が無いと語る。正確には罪悪感という感情が無い。その喪失はそのまま他者への死への渇望に変わる・・。

 自分の親がこんな事を実際にしていたとしたら衝撃です。さらには亮介には、子供の頃の入院を挟んで自分の母親が入れ替わっているかもしれないという記憶が残っています。いってしまえば、書き手が女性として、これを書いてるのは入院前まで育ててくれた母か、それとも事故死した母なのか、殺人鬼はどちらなのか。

 今まで自分の母と信じていた存在が揺らいでいく。その感情は、婚約しながら失踪した婚約者・千絵の存在を引きずる今の亮介自身の感情とオーバーラップしていきます。色々な感情が渦巻きながら、そしておそらく知りたくない事を知ってしまうだろう、と予感しながらも、ノートの書き手を探す亮介。

 ここまで来るとひたすら救いながない感じですけれど、そこにもしかしたら殺人鬼を妻にしたかもしれないい父親の存在が絡んでくることによって、ただのサイコパスストーリーと思っていたものが、少しずつ男女の恋愛物として要素が見えてきます。

 後半ガラッとかわる展開については、好き嫌いが分かれるでしょう。ノートでは罪悪感という感情について、書き手の諦観ともとれるような悲痛な叫びがあります。しかし、そこにどんな理由はあっても殺人は殺人だし、許せるか許せないかは読み手の倫理観に委ねられるところもあるでしょう。

 ただ、その倫理観が内向き(当事者としての家族)として考えると、この結末に関していえば、なんとなく良かったのか、とも思えてしまうのも自分としてはありました。書き手と夫、そして息子と過ごした時間の中で、「ユリゴコロ」と呼ばれた殺人への渇望を超えるもう一つの「ユリゴコロ」を見つけたからこそ、ノートでの悲痛な叫びに繋がったんだと思います。
 
 その部分に肉付けするのが、ノートを補足する形で父の口から語られる物語であり、そのある意味、綺麗事ではないある意味リアルな一人の男しての感情描写がきちんと在るからこそ、あのラストを思いの外受けられる事ができるのかもしれません。

 イヤミスともサイコ物とも恋愛モノともどこに振り分けていいのか難しい作品ですが、そこもく含めて読んでみても面白い作品だと思います。
 



採点  ☆3.6