映画『22年目の告白〜私が殺人犯です〜』 監督:入江悠


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あらすじ

藤原竜也伊藤英明がダブル主演し、2012年の韓国映画「殺人の告白」を原作に描くクライムサスペンス。「ジョーカー・ゲーム」「SR サイタマノラッパー」の入江悠監督がメガホンをとり、22年前の連続殺人事件の犯人を名乗る男の「告白」が新たな事件を引き起こす様子を描き出す。

 1995年、同一犯による5件の連続殺人事件が日本中を震撼させた。犯人はいずれも被害者と親しい者に殺人の瞬間を見せつけており、殺害方法は背後からの絞殺、そして目撃者は殺さずに犯行の様子をメディアに証言させるという独自のルールに則って犯行を重ねていく。捜査を担当する刑事・牧村は犯人を逮捕寸前にまで追い詰めるが、犯人の罠にはまって上司を殺され、事件は未解決のまま時効を迎えてしまう。

 そして事件から22年後、犯人を名乗る男・曾根崎が執筆した殺人手記「私が殺人犯です」が出版される。曾根崎は出版記念会見にも姿を現し、マスコミ報道やSNSを通して一躍時の人となるが……。

 告白本を出版する美しき殺人犯・曾根崎役を藤原が、事件発生時から曾根崎を追い続ける刑事・牧村役を伊藤がそれぞれ演じる。



原作だと思ってノベライズを読んでしまい、ネタを知ったまま映画を見る。
下敷きとして韓国映画の『殺人の告白』があるそうだが、確かにそんな映画の予告編を見たな・・・と思い出す。未見なのだが、どこまで下敷きにしてるんだろうか。。

それはともかくとして、映画を見ると結構ノベライズ版と違うところがある。そうおもってもう一度ノベライズをよく見ると、ノベライズとは書いておらず、あくまで小説版となっている。ノベライズと小説版とどう違うのかはよくわからないが、でもなんとなく納得。

 映画版はある程度テンポを重視している。冒頭での阪神大震災の事故映像にオーバラップする連続絞殺事件の場面。そして時効を迎え慟哭する刑事たち。その中で突然犯人として登場する曾根崎。
 小説版、映画を見るとなるほどこの役は藤原竜也しかいないな、と。自ら犯人ですとマスメディアの前に登場する曾根崎の妖しさと美しさ。小説版でもものすごい美男子と賞賛されているが、なるほど。ちょうど主演のドラマ「リバース」にハマってたのですが、その時のダメダメ羊飼い深瀬くんとのギャップが凄いです(笑)。
 
 ちなみに実際の藤原竜也の年齢を曾根崎の年齢にオーバラップさせてしまうと、殺人事件が始まった頃にはいくらなんでも小さすぎると思うのだが、小説版では見た目30代、実年齢40代という設定だった。流石に映像にすると嘘臭すぎる設定なので特に説明も無くスルーされてましたが(笑)

 被害者家族のキャスティングとして、夏帆早乙女太一岩松了岩城滉一という素敵なくらいクセのある方々が揃ってます。さらに最後の事件で先輩刑事を失い、自らも顔に怪我を追った刑事を伊藤英明、マスコミの立場から時代の寵児となった曾根崎を糾弾するジャーナリスト仙道に仲村トオルと、これまた濃い面子。仙道司会のニュース番組で対決する藤原竜也伊藤英明仲村トオル三者三様の芝居が大変力のこもった男臭さに溢れてます。

 前半はサスペンス風味、途中刑事モノ的になり、最後はサイコ系からの純愛みたいな展開。全体としてテンポもよく、ミステリとしても捻りが効いてます。テンポと相殺する形で若干登場人物の感情の起伏がサラッと流される所もあるのですが、SNSによる曾根崎の神格化であったり、マスメディアの嘘くさい正義感など現代における様々な問題を上手く作品に取り込んで、総じて楽しめる作品になってると思います。

 此処から先は予告編の映像の次からネタバレで内容に触れます。未見、小説版未読の人は読まないでください。そして劇場に行く人はパンフレットを買っても絶対に映画の前に見ないでください。肝心のクライマックスが何処を見ても容赦なくネタバレ。ほんとうに、表紙へ注意書きを書くか袋とじをしないとヤバいレベル。配給会社ももう少し考えてよ・・と思いました。



映画『22年目の告白 -私が殺人犯です-』本予告【HD】2017年6月10日(土)公開


さてここからネタバレです。


 映画版では曾根崎の内面であったり、いきなり小説を代筆したと語ってしまう牧村だったりと説明不足なところもありました。
 このあたりは小説版では結構工夫してあります。小説版でおいて、映画ではまったくチョイ役だった出版社の曾根崎担当が語り手となり、実質的な主役を勤めます。彼女を主役にすることによって映画以上に曾根崎の人間性を客観的に描くと同時に、マスメディアのモラルハザードの部分が映画より前面に出ることになっています。といっても、一般的な小説に比べればなおテンポ重視なところはありますが、映画をみると小説のほうがより丁寧には書いてたんだな、と思います。

 また牧村については読書家という設定になっており、映画では夏帆が演じた美晴の書店の常連であるという設定が練り込まれており、一応小説も書けるという理屈付けはしています(読書家だから書けるというものでも無いとは思いますが。。。)。映画版でいきなり牧村が本を書いたのは自分だ、と言ったときほどの唐突感はないような気がしました。

 逆に真犯人の仙道は映画の方がぶっ壊れてました。基本的なバレ方はほとんど一緒でしたが、地下室のシーンは映画のほうが迫力がありました。その一番の理由は仲村トオルの怪演だと思います。カッコいいけれど正直台詞回しには個人的に不安を感じる仲村トオルさん、その嘘くささが真犯人の仙道をよりヤバイ人にしてくれてますね。

 こう見ると映画と小説というメディアの特性をクローズアップすることによって、結果として映画版と小説版それぞれの面白さを作り出すことに成功してると思います。この内容を小説版と映画版が逆の描き方だったら、それこそ両方共倒れだったかも。
 両者を比較するとするのなら、それぞれ単体の作品としてみた場合、やっぱり映画版の方が面白いといえるかな〜。