『魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く』 著者:奥野修司

イメージ 1

あの未曾有の大震災から、今年で6年――。
その被災地で、死者を身近に感じる奇譚が語られているという。
最愛の家族や愛しい人を大津波でうしない、悲哀の中で生きる人びとの日常に、
突然起きた不思議な体験の数々……。
《愛する亡夫との〝再会″で、遺された妻に語られた思いは……。
津波で逝った愛娘が、母や祖母のもとに帰ってきた日に……。
死んだ兄から携帯電話にメールが届いて……。
早逝した三歳の息子が現れ、ママに微笑んで……≫
だが、〝霊体験″としか、表現できないこうした〝不思議でかけがえのない体験″によって、絶望にまみれた人びとの心は救われたのだった――。
著者は3年半以上も、そのひとつひとつを丹念に何度も何度も聞き続け、検証し、選び出し、記録してきた。
「今まで語れなかった。でも、どうしても伝えたい」という遺族たちの思いが噴き出した、初めての〝告白″を、大宅賞作家が優しい視線と柔らかな筆致で描き出す! 
唯一無二の〝奇跡″と〝再生″の物語を紡ぎ出す、感動と感涙のノンフィクション。


Amazonより

死者18000人余りを出した東日本大震災。震災直後からメディアを通じて、未曾有の大災害がもたらした想像を絶する被害を知ることになった。
この本で取り上げられているのは、メディアを通して見た過酷な現実の姿ではない。むしろ取り上げられることの無かった不思議な体験談を聞き取った物だ。

著者にこの本を書かせたのは、宮城県の岡部医師が自分の医師としての経験と語った「お迎え」である。「お迎え」とは、自身の死の間際にすでに亡くなった人物や通常は見ることができない現象のことだ。岡部医師は自分の患者の42%が経験していると語る。
さらに岡部医師はいわゆる一般的な幽霊譚と、「お迎えに」の違いについてこう語っている。

柳田国男が書いた『遠野物語』でも、考えてみればお化けの物語だよ。ところが、第九十九話で柳田は、男が明治三陸地震津波で死んだ妻と出会う話を書いているよな。妻が結婚する前に親しかった男と、青の世で一緒になっていたという話だ。なんでわざわざ男と一緒に亭主の前に出てくるのかわからんが、死んだ女房に逢ったのに、怖いとはどこにも書いていない。恐怖は関係ないんだ。つまり家族の例に出会ったときは、知らない人の霊に出会うときの感情とはまったく違うということじゃないか?」

近年、多くの災害が日本を襲ったが、東日本大震災以前の甚大な災害といえば阪神大震災が思い浮かぶ。著者は東日本大震災後に比べ、阪神大震災後について霊的経験の話がそれほど多くなかったという。
その理由について、東北地方における宗教の土着性の強さに起因するのではないかと推測する。

収録された体験談の中で、壊滅的な被害を受けた陸前高田市にボランティアでオガミサマがやってきたエピソードが紹介される。その存在を私は知らなかったのだが、いわゆる恐山のイタコや沖縄のユタに代表される「口寄せ」を行う霊媒師の事だそうだ。死者とのコミュニケーションツールとして現代どこまで理解されているかは分からないが、著者はオガミサマの役割、身近な人とコミュニケーションの触媒となる力をグリーフケア(身近な人の死別を経験して悲嘆くれる人を支援することとし、その文化がまだ残っていた事を羨ましく感じたと述べている。

今回収録された体験を経験した人は、未曾有の大災害により一瞬にして身近な存在を失った。印象に残るのは、その殆どのエピソードにおいて、体験者はその瞬間に驚きは感じても恐怖を感じていないという事だ。

冒頭の著者と岡部医師と会話の中に、「霊体験」と「お迎え」の違いについて、著者が「霊としてあらわれた死者と、霊に遭遇した生者のあいだに物語があったかどうかの違いかもしれませんね。」と話す場面がある。
残った者と旅立った者。今いる場所は此岸と彼岸と違っても、魂のある場所として、それぞれが一緒に過ごした時間、物語があるからこそ、そこに魂が戻ってきている事を事実として自然に受け止める事が出来るのだろう。

今回体験談を語ってくれた人々は、必ずしも魂の存在を信じたことで(一般的な意味で)救済された、あるいは前向きになれたという人ばかりではない。中には今を生きる決意をしながらもそこには諦観の感情を持たれたのでは、という方もいる。

それでも著者は語る事の意義について、その人にとって納得できる物語を創る事は、癒やしに繋がると述べる。大災害によって突然物語を断ち切られた人にとって、魂との出会いは断ち切られた物語を紡ぎ直すきっかけにとなり、繰り返し語ることによって、納得できる物語となる。

語ることの出来ない物語は体験者を追い詰める。作中、天皇陛下が避難所で声を書けてくれるまで、誰からも声を掛けられなかったと語る被災者がいた。どう声を掛けたらいいか分からないから、と思うし、自分がもし同じ立場だったらそうなるかもしれない。

それでも声を掛けられないという事実は、悲しみを共有する機会を失い、より深い孤独を被災者は突きつけられるという。

本の中で、自分の体験を中々語ることができなかった事について、ある人は「否定される事が怖かった」と言う。確かに一般的な霊的現象は、非科学的と否定される事が多い。著者自身も体験談を聞く旅を始める前はそうだったと告白している。

遠い未来霊的現象について、なんらかの科学的証明がされるかもしれない。あるいは今回収録された体験弾の是非について、ひとそれぞれの意見があるだろう。
それでも、体験者にとって事実であることを否定はできないし、その事実があるからこそ、震災がもたらした様々な事象に向かいあうことが出来るのだと思う。