『罪の声』(☆4.0)  著者:塩田武士

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逃げ続けることが、人生だった。

家族に時効はない。今を生きる「子供たち」に昭和最大の未解決事件「グリ森」は影を落とす。

「これは、自分の声だ」
京都でテーラーを営む曽根俊也は、ある日父の遺品の中からカセットテープと黒革のノートを見つける。ノートには英文に混じって製菓メーカーの「ギンガ」と「萬堂」の文字。テープを再生すると、自分の幼いころの声が聞こえてくる。それは、31年前に発生して未解決のままの「ギン萬事件」で恐喝に使われた録音テープの音声とまったく同じものだった――。

Amazonより

 読み終わって、ドーンと重いものが残る。そんなタイプの小説だ。

 昭和犯罪史に残る未解決事件「グリコ・森永事件」を下敷きにしたフィクション。とはいっても巻末で著者が述べているように、小説の中でも極力現実の事件の再現を試みている。本当にこのような事があったかもしれない、と思える物語を描きたかったという著者の目論見は成功しているといえる。それぐらい濃密な時代の空気、登場人物の息遣いが伝わってくる。

 物語の軸は2つ。一つは新聞の年末特集の為、未解決事件である「ギン萬事件」を再調査することになった記者・阿久津英士の視点。もう一つが「ギン萬事件」で犯人が使った音声テープに吹き込まれた子どもの声の持ち主である曽根俊也の視点だ。

 再調査にあまり積極的になれない阿久津は上司達に尻を叩かれていくうちに、少しずつ事件の闇の深さに飲み込まれていく。一方で父の遺品から「ギン萬事件」で使われたと思われるテープを発見した俊也は、犯罪者の息子かもしれないという恐怖と、真実を知りたいという思いの間で揺れ動くことになる。

 加害者(あるいは当事者)の立場と、時代を超えて調査する立場。それぞれの方向から少しずつ事件の闇が明らかになっていく。安易に回想場面、過去の場面を挿入すること無く、あくまで関係者の口から物語を語らせることによって、作中届きそうで届かない事件の真相にジリジリする登場人物達の気持ちを読者も共有することが出来る。

 2つの視点のそれぞれで色々な事実が明らかになるが、読者はそれぞれの事実の両方を得ることが出来る。それでもなお事件の真相をなかなか読者に掴ませない構成は見事であると思う。一方でノンフィクション的に事実を提示していく部分と、フィクションとして物語を描写する部分のかみ合わせが今ひとつで、場面によってはやや間延びしている感じは否めない。それでも読ませるのは、モデルになった「グリコ・森永事件」の吸引力ともいえるのだろうか。

 阿久津と俊也、2つの物語は終盤ついに交差することになる。それぞれに事件への思いが変質していくなかで、物語はスピード感を増し事件の真相へと突き進み、物語の視点は「犯人は誰か」というところから「事件の中に存在した人達」へと移っていく。

 それこそ著者の狙いであろう。実際の事件でもそうだったが、物語の冒頭でも明らかにされる通り、事件には子どもの姿が見え隠れしている。小説の中でフィクションとしての真相が明らかになるに連れ、子供たちの正体も明らかになっていく。何も知らずに事件に巻き込まれていったであろう子供たちが辿った運命と、恐らく彼らの未来を深く考えずに事件に巻き込んだ大人の身勝手さの対比は鮮やかであり、同時に実際の事件でテープに吹き込まれた声の持ち主に待っていた未来を想像すると、胸に詰まる。

 巻き込まれた子供たちがどう選定されたのか、あるいはどういう風に巻き込まれていったのか小説内では明確にされず、物足りなさもあるけれど、それ以上に登場人物に託された著者の叫び、フィクションでありながらノンフィクション的なリアリティを併せ持つ世界は、読者に強烈な印象を残すのは間違いない。



採点  ☆4.0