(再読)『人形館の殺人』(☆4.3)  著者:綾辻行人

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 父が飛龍想一に遺した京都の屋敷――顔のないマネキン人形が邸内各所に佇む「人形館」。街では残忍な通り魔殺人が続発し、想一自身にも姿なき脅迫者の影が迫る。彼は旧友・島田潔に助けを求めるが、破局への秒読み(カウントダウン)はすでに始まっていた!? 
 シリーズ中、ひときわ異彩を放つ第4の「館」、新装改訂版でここに。

Amazonより

 本当に久しぶり、二十数年ぶりの再読。ブログ初期の記事はありますが、多分昔の思い出で書いてる気がします。再読の理由は手元にある綾辻さんの新刊の収録作紹介に「人形館の殺人」の後日譚とあるから。そうしたら、新刊読む前に読まにゃいけんじゃろ。おっと、他にも『眼球綺譚』やら『どんど橋、落ちた』の番外編もあるのにそっちはいいのか、という問題が。
 まぁ、そこはそこという事で(笑)。僕の中ではかなり高評価ですが、ミステリブログ界の中では、「館」シリーズの中では比較的評価が低く、某猫の館の主様は確か最下位にしていたような。果たして、今読むとどんな感想を持つのか、ドキドキしながら読み進む。

ああ、懐かしいなぁ~。
何が懐かしいって、一人称に割り込んでくる謎の人物の独白、あるいは記憶。記憶を描くための独特の段組みを、当時は勝手に綾辻スタイルと命名し、自分の書いてたミステリにも引用してた(笑)。今となってはそんなに斬新なことではないかもしれんですが、まだまだ初心な頃、この書き方をするには原稿用紙をどういう風に使えば良いんだ?と真剣に悩んでました(笑)。

 メインの◯◯ネタも今となっては定番の一つになってますけど、当時の自分の心の中に残したインパクトは凄かった。不可能と思われた事件がパタパタと解明していく快感ももちろん好きですが、事件が解決していく中でも残っていく不条理な後味の悪さというか、こういうのが当時好きだった気がします。
 僕がこれを読んだ頃、『館シリーズ』は人形館、『囁き』シリーズは暗闇まで出てたと思うのですが、当時は館シリーズもよりも囁きシリーズに惹かれていた気がするし、館シリーズの中で一番評価が低かったのが迷路館というのを考えても、ほんとにツボだったんでしょうね。

 ◯◯ネタが大きなメインになっている分、トリックのインパクトとか、論理的な解決の中での意外性という意味ではそれまでの3作より薄いし、他の3つの館に比べると「人形置いたの、中村青司じゃないじゃん!!」という館名の疑問も頭をよぎりましたが、読み終えてみると小説としての名前の必然性はきちんとしているし、過去3作品をある意味ミスリーディングに利用してるところなんかはキチンとミステリしていると思うんですよね~。
 他にも過去の館はある種閉鎖された空間として存在し、その中で物語が広がっていきましたが、人形館はそれ自体がアパートとしての役割を持っていることからも分かる通り、開放された空間です。じゃあ、他の作品に比べて開放的かというと、作品の中に漂う空気は他の作品と比べれても息苦しさは負けてない気がする。それはひとえに、過去の作品のどの登場人物よりもこの飛龍想一という語り手を人形館という館の存在が絡め取っていってるからだと思うし、そういう意味ではまさにこの小説も館が主人公であることには間違いないと思う。

 また、旧版の解説で太田忠司さんが「カタストロフ」としてこの作品を評価していましたが、その通り、事件が解決することにより崩壊する主人公の世界、シリーズ屈指の救いの無さのインパクト、これが僕にとってのこの作品の魅力であり、法月さんの『頼子のために』と併せて、当時の、そして今の僕のミステリ観に大きな影響を与えているんだな、と再確認できました。

 一行のインパクトとミステリ界としての重要性は『十角館』だし、館+事件+カタストロフのバランスでいえば『時計館』が「館シリーズ」の最高傑作だとおもうのだけれども、それでもやっぱり人形が好き。


採点  ☆4.3