『シン・ゴジラ』 監督:樋口真嗣

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あらすじ

東京湾羽田沖の東京湾アクアラインで原因不明の崩落事故が発生、これを受けて官邸に大河内清次内閣総理大臣をはじめとする各幕僚が招集され、緊急会議が開かれた。
会議の中で「事故の原因は地震か海底火山の噴火といった自然災害によるもの」という推測が立てられ、その方向で結論が付けられようとしていた。たった一人の男を除いては。その男の名は、内閣官房副長官を務める矢口蘭堂。彼だけは「海底に生息する巨大な生物」によるものが原因とする可能性を示唆した。だが、そのあまりにも突飛で非現実的な発想に総理大臣補佐官の赤坂秀樹を含めた他の閣僚は当然、信じる筈がなく、それを笑って否定した。
だが、それから間もなくして現実のものとなってしまう。神奈川県沖の海中より突如、身長100m以上の巨大生物が出現、巨大生物は同県の鎌倉市に上陸し、甚大な被害を出しながら進行を開始する。この未曾有の事態に人々は大混乱に陥り、これを見た政府は緊急対策本部を設置、巨大生物を害獣として扱いその駆除という名目で自衛隊に出動命令を下す。

	•	矢口蘭堂内閣官房副長官):長谷川博己[2]
	•	カヨコ・アン・パタースン(米国大統領特使):石原さとみ[2]
	•	赤坂秀樹内閣総理大臣補佐官):竹野内豊[2]
	•	大河内清次(内閣総理大臣):大杉漣
	•	東竜太(内閣官房長官):柄本明志村祐介内閣官房副長官秘書官):高良健吾尾頭ヒロミ環境省自然環境局野生生物課課長補佐):市川実日子
	•	財前正夫(統合幕僚長):國村隼自衛隊員:ピエール瀧
	•	花森麗子(防衛大臣):余貴美子
	•	里見祐介(農林水産大臣):平泉成国土交通大臣矢島健一総務大臣:浜田晃
	•	文部科学大臣手塚とおる警察庁長官官房長:古田新太警察庁刑事局局長:モロ師岡内閣危機管理監:渡辺哲
	•	防災課局長:諏訪太朗東京都知事光石研東京都副知事藤木孝
	•	外務省官僚:嶋田久作厚生労働省官僚:津田寛治文部科学省官僚:高橋一生
	•	外務省官僚:神尾佑経済産業省官僚:野間口徹泉修一(保守第一党政調副会長):松尾諭生物学者塚本晋也生物学者原一男
	•	古代生物学者犬童一心
	•	海洋生物学者緒方明自衛隊員:斎藤工
	•	避難民:前田敦子
	•	避難民:森廉自衛隊員:鶴見辰吾
	•	官邸職員:片桐はいり
	•	ジャーナリスト:松尾スズキ
	•	ジャーナリスト:川瀬陽太内閣府特命担当大臣中村育二
	•	消防隊隊長:小出恵介
	•	ジャーナリスト:三浦貴大自衛隊員:KREVA自衛隊員:橋本じゅん警察庁危機管理担当要員:加藤厚成
	•	消防庁危機管理担当要員:阿部翔平原子力規制庁職員:黒田大輔
	•	妹尾青洸
	•	小林隆大林丈史小川真由美原知佐子粟根まことマフィア梶田横光克彦

 「ゴジラ FINAL WARS」で終了した日本版ゴジラ。しかし、ハリウッド版ゴジラに触発されたのか、ついに12年ぶりの復活です。しかも総監督にエヴァ庵野秀明、監督は「平成ガメラシリーズ」の特技監督でもある樋口真嗣(ただこちらは「進撃の巨人」がなんともな出来だったので若干不安)。予告編の煽りっぷりも良かったし、公開初日のレイトショー最終回に出掛けてきました。

 今回広島で初めて出来た4DX上映の映画館での鑑賞。21:55分スタートながら、金曜初日・ゴジラ、そして殆どの観客が初めての4DXということもあり、映画館はほぼ満席。予告編での4DXのプチ初体験に観客全員、そして僕もどよめいてました(笑)。

 さてさて、実際の映画ですが、いやこれは凄かったです。あまりにもインパクト大、これまでの怪獣映画とはまた異質の完成度でした。ストーリーも極力ドラマ性を廃して、怪獣映画としての部分の比重が高い。オープニング、海中トンネル崩落から怪獣の尻尾がでてくるまでの流れ。これまでの怪獣映画だとその正体について政治家や専門学者、マスコミが意見を戦わせるが、そういった場面は殆ど無い。崩落事故の際、長谷川博己演じる内閣官房副長官が「未知の巨大生物」にの存在について示唆する場面があるが、そこで描かれているのは、新しい発想を良しとしない政治家達の不毛な話し合いである。そこにはかつてのゴジラ映画で描かれた熱量溢れる討論ではなく、想定の範囲外のことは自分たちの考える事ではない、という他人事的な態度である。また、尻尾が目撃された事で何らかの巨大生物の存在が確定された為急遽招集された御用学者たちも、初代ゴジラの山根博士のような態度を見せる事は一切無い。ただデータ不足を理由に判断を下さない・・あるいは判断することを放棄する姿勢だけである。

 決断をできない、あるいはしようとしない人間の姿をこの映画では徹底して描いている。その象徴が劇中何度も開催される関係閣僚会議での首相と大臣の関係である。各閣僚はその所管庁としての立場からの意見を述べているが、それはあくまでも個の意見では無い、それも省庁の担当官僚による発言の修正も飛び交う。そして、決議を出来る唯一の立場である首相も、積極的に判断をしようとしない、異例の対応を行う決断を回避しようという姿勢が透けてみせる。結果として、対応の決定が遅れ、被害は甚大となっていく。

 そんな人間の利己的な姿をあざ笑うかのように、東京湾から現れた怪獣は黙々とその歩みを進めていく。ちなみに最初にその姿を見せる怪獣はゴジラというよりは幼虫といった感じ。しかしなぜ怪獣が地上に現れたかというのは分からない。目的の無い行動は無であり、不気味である。幼虫はそのデザインや彩色も含めてゴジラというよりはモスラ、あるいは「ウルトラマン」シリーズに登場しそうなデザインだ。そういえば総監督の庵野さんは自主映画でウルトラマンのオマージュ的な作品をとっているし、もしかしたらこの怪獣のデザインもその影響があるかもしれない。

 目的の無い不気味さという傾向は怪獣が進化(?)してゴジラの姿になり、なお一層強くなる。なにしろ今回のゴジラは殆ど吼えない。ただ歩みを進めるのみである。かつてのゴジラは破壊神、あるいは地球の味方(?)として外敵と闘っていたが、今回のゴジラは神(シン?)の如き存在感である。ただ、そこに存在し、人間たちが慌てふためき逃げ惑う姿を睥睨する。あるいは、彼らが創りだした都市群を、かつて神への挑戦の如くそびえ建っていたバベルの塔が神の逆鱗に触れたとされる神話のごとく、神あるいは神の代弁者として破壊するのみである。
 時としてアニメ的構図(特にエヴァ)によりゴジラを捉えるカメラワーク、街が破壊されるシーンはさすがにリアリティと迫力があるが、それ以上にこの生物、ゴジラにはかなわないと痛感させてくれる。その無力感と理解の範疇を越えた虚無感すら漂わせる映像は、庵野さんの名作短編映画『巨神兵東京に現わる』に重なった。あの映画に登場した巨神兵もまた、目的も分からないまま、ただ東京を破壊し尽くす姿に不条理なまでに感情の存在を見せなかった。

 只々、ひたすらに無力な人間とそこに人格(?)などを必要としない神、あるいは神の器としてのゴジラの存在感。これがこの映画の核である。今回ゴジラはCGで描かれているが、その動作を担当しモーションキャプチャーされたのが狂言師野村萬斎だ。彼の洗練された古典芸能(狂言)の動きが、感情を配し神格化されたゴジラの存在感をより増してくれていると思う。
 そのあまりにも無力な虚無感が巨大なので、この映画は子供たちが見ても面白く無いかもしれない。なにしろ爽快感に無縁だからだ。でも、初代ゴジラもまた神としての存在だった。もちろん時代が変われば神としての存在も変格化していくが、それでもなおこの映画はゴジラの原点回帰といえるのかもしれない。そしてまた、そこに庵野秀明という異質な才能が加わることにより、新しい怪獣映画としても孤高の存在となった。

 間違いなく傑作である。