『葛城事件』 監督:赤堀雅秋

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あらすじ

 「その夜の侍」の赤堀雅秋監督が同名舞台を映画化し、無差別殺人事件を起こした加害者青年とその家族、加害者と獄中結婚した女性が繰り広げる壮絶な人間模様を描いたドラマ。
 親が始めた金物屋を継いだ葛城清は、美しい妻・伸子と共に2人の息子を育て、念願のマイホームも建てて理想の家庭を築き上げたはずだった。しかし、清の強い思いは知らず知らずのうちに家族を抑圧し、支配するようになっていた。長男の保は従順だが対人関係に悩み、会社をリストラされたことも言い出せない。そして、アルバイトが長続きしないことを清に責められ、理不尽な思いを募らせてきた次男の稔は、ある日突然、8人を殺傷する無差別殺人事件を起こす。死刑判決を受けた稔は、死刑制度反対を訴える女・星野が稔と獄中結婚することになるが……。
 三浦友和が抑圧的な父・清役で主演を務めるほか、母・伸子役に南果歩、兄・保役に舞台版で稔役を演じた新井浩文、稔役に大衆演劇出身の若葉竜也ら実力派キャストが集結。
 	
スタッフ

監督
赤堀雅秋

 
キャスト

三浦友和   葛城清
南果歩    葛城伸子
新井浩文   葛城保
若葉竜也   葛城稔
田中麗奈   星野順子



 元々気になってた映画ですが、職場の元先輩が飲みの席で、「自分の中ではベスト10に入るかも知れない傑作。職場の朝のミーティングでも語っちゃったよ」と熱弁されてたのに惹かれ、日曜朝イチで映画館へ。さすがに内容が内容なので、子供連れの客はおりません(当たり前)。

 冒頭、自宅に書かれた落書きを消す三浦友和扮する清。落書きの原因は、彼の次男が起こした連続殺傷事件を誹謗中傷する不特定多数の人物たち。実際の事件でもこういった事は起こりそうですが、落書きを消す清はなぜか「バラが咲いた」を口ずさんでいる。物語はそんな彼の次男と獄中結婚した田中麗奈扮する星野が自宅を訪ねてくるところから過去と現在が繰り返されていく。

 物語の核にいるのは一家の主である清。抑圧的に家族を束縛していく彼の姿は荒んだ狂気を漂わせている。理不尽なまでに自己主張を押し通し、そこに歯向かう相手には容赦無い。馴染みの中華店で「麻婆豆腐が辛すぎる」とクレームをつける姿はその最たるものだ。
 そんな彼を抑えることができな家族もまたどこか、不均衡で観客の心をザワザワさせてくれる。清の精神的・肉体的束縛の結果何事にも無気力・・というか自己放棄している母親、閉じこもり気味で理想論ばかり唱えてる次男。一見まともにみえる別居の長男ですら、自己表現に乏しく、リストラされている事を自分の妻にいえないまま、周りをビルに囲まれた暗い公園でクロスワードを解きながらパンを齧っている。

 元々が監督が主催する劇団「THE SHAMPOO HAT」での公演が原作。ただ、舞台版と映画版では内容が違うらしい。ただ、映画の中では舞台的な部分の名残もあり、映画としての工夫もあったような気がする。
 映画を見てて感じたのは、空間の奥行きが狭い、あるいは閉鎖的な作り。葛城家であり、清が営む金物屋でありスナックであり、どれもが閉鎖的であり、また平面的な構造になっている。その平面の空間の中で、奥行き、あるいは縦の構図が如実に使われるときは、その閉鎖された空間(あるいは家族)からの脱出への願望の表出に感じた。特に、新井浩文演じる長男・保にはその構造が多く用いられていた。例えば、自宅のマンションの部屋から出勤する場面の保とその妻(あるいは子供)の立ち位置。また、金物屋を尋ねた保が、店番の位置から外を眺める構図である。映画の中で、保はその縦の関係性に飛び込むことはなかった。憧憬を持ちながらも、飛び込む力をすでに失っていたのかもしれない。いや、最後の最後で、彼は平面的世界から飛び出すことには成功したのだけれども・・。

 次男・稔においても、普段は理想論を語りながらも閉じこもりの生活を送っている。シニカルな態度を取りながらも、父親の視線には怯える姿も見せる(このあたりの感情を若葉竜也が素晴らしい演技で表現)。そんな彼が自己を暴発させた連続殺傷事件の舞台は地下鉄であり、これもまた映画の中では縦の構図で見せている。

 映画の主題であると思われる「家族」が横あるいは閉じられた関係であり、それを守ろうとしたものと、飛び出そうとする欲求である縦の関係の縺れた悲劇が「葛城事件」なのかもしれない。

 この映画で一番狂気を感じさせるのは間違いなく清だが、それと同じくらい狂気を感じたのが田中麗奈扮する星野順子だった。NPO死刑廃止運動に携わっており、突然清の前に現れ「稔さんと獄中結婚しました」と言う。彼女の結婚の目的は、死刑廃止の立場から稔を救いたい、と言うこと。申し訳ないが、胡散臭い。劇中で清も「お前は新興宗教か何かか」と喝破される。彼女が幾度も劇中で語る「稔さんと本当の家族になりたいんです」という言葉。本来であれば、これは目的だと思うのがだ、結局は死刑廃止制度の為の手段であったとおもうし、そこに自分が考える家族(目的の為の目的)を当てはめているように感じる。その姿は、理想の家族を求めるあまり自分の箱庭の中に閉じ込めてしまった清と同質な物を感じる。清と順子の最後の場面は、そのお互いの矛盾の爆発だったんだろうと思う。


 いやあ、日曜の朝からとってもダークな気分にさせられました。脚本も構成もいいし、役者陣も強烈(特に三浦友和若葉竜也は出色)ですごい映画だと思うけど、また見るにはパワーがいるなぁ。。。