『僕はパパを殺すことに決めた~奈良エリート少年自宅放火事件の真実~』  著者:草薙厚子


英語1の点数が20点足りない。ただそれだけの理由だった。
2週間後の保護者会までに、すべてを消し去らなければ――。
3000枚の捜査資料に綴られた哀しき少年の肉声を公開!
過熱する受験戦争へ警告の書!

パパにどう言って英語1の点数を説明しようかと思い悩んでいました。すると僕は、これまでパパから受けた嫌なことを思い出しました。パパの厳しい監視の下で勉強させられ、怒鳴られたり殴られたり蹴られたり、本をぶつけられたりお茶をかけられたりしたことを。なんでこんなに勉強させられなあかんのや。なんでパパからこんなに暴力を受けなければならないんや。一生懸命勉強してるやないか。何か方法を考えてパパを殺そう。パパを殺して僕も家出しよう。家出をしてから自分の人生をやり直そう――。僕はそう思うようになりました。――<「第1章 計画/殺害カレンダー」より>

講談社HPより

今、話題の本の一つである。
どうして話題なのか。記事を引用する。

昨年6月に奈良県の高校1年の少年が自宅に放火し一家3人が焼死した事件をめぐり、東京法務局は12日、少年の供述調書とされる内容を引用した単行本が少年のプライバシーを侵害したとして、謝罪などの被害回復や被害拡大の防止などに取り組むよう出版元と著者に文書で勧告した。「報道・出版の自由として許容される限度を明らかに超えている」としている。

 対象となったのはフリージャーナリスト草薙厚子氏の著書「僕はパパを殺すことに決めた」。講談社が5月に出版した。
 勧告文書で法務局は、少年院にいる少年の矯正教育や社会復帰に回復困難な悪影響を及ぼす恐れがあり、人権擁護上、到底見過ごせない▽少年審判が非公開である趣旨に反し、著しく不適切▽事件の重大性や犯罪報道の公共性・公益性を考えても限度を超えている――などと指摘した。

 勧告に強制力はない。被害回復や被害拡大防止の具体的な措置は勧告文書に明示されてはいないが、法務省人権擁護局は、少年への謝罪や謝罪広告の掲載、単行本の回収、増刷自粛などを念頭に置いていると説明している。
 同局によると、プライバシー侵害などで出版社に勧告を行ったのは記録が残る85年以来9件目。著者への勧告は過去に例がないという。

 講談社は「勧告は真摯(しんし)に受け止めている。今後も少年法の精神を尊重しながら、社会的意義のある出版活動を続けていく」とのコメントを発表した。

2007年07月12日 asahi.comより

奈良県田原本町で昨年年6月、医師(48)宅が全焼し母子3人が死亡した放火殺人事件を題材にした書籍に中等少年院送致になった長男(17)らの供述調書が引用されていた問題で、奈良地検は14日、フリージャーナリストの草薙厚子さんに調書の内容などを漏らしたとして、秘密漏示容疑で、長男の精神鑑定を担当した京都市内の精神科医宅や勤務先病院、東京都内の草薙さんの事務所などを家宅捜索、この精神科医や草薙さんの聴取を始めた。

 問題となった書籍は、フリージャーナリストで元法務省東京少年鑑別所法務教官の草薙さんが今年5月、講談社から出版した「僕はパパを殺すことに決めた」。同容疑での強制捜査は異例で「言論の自由」などとの関係をめぐり論議を呼びそうだ。

 調べなどによると、精神科医は、昨年8月に奈良家裁に選任され、当時高校1年だった長男の少年審判に際し、長男の精神鑑定を担当。その後、草薙さん側に、事件の調書の写しを渡した疑いが持たれている。

 同書では、帯に「3000枚の捜査資料に綴(つづ)られた悲しき少年の肉声を公開!」と記し、「少年の供述調書より」「父親の供述調書より」として調書の内容を詳細に記述。精神鑑定書の内容や、非公開で行われた少年審判でのやりとりも引用されている。

 長勢甚遠法相(当時)は6月、「司法秩序を乱し、少年法の趣旨に反する」と批判。東京法務局は7月、「報道・出版の自由として許容される限度を明らかに超えている」とし、少年法の趣旨に反するとして同社と草薙さんに再発防止を求める勧告を行っていた。

要約すると、この本がいろいろ話題になるのは、

①事件関係者の供述調書がかなりの量引用されている。
②本の内容について、プライバシー等の点において法務局が異例の勧告、さらには著者や精神鑑定を担当した医者らへの家宅捜索

の2点だと思います。

さて読み終わった感想。
供述調書の引用の是非だけれども微妙な部分である。
著者のブログより引用する。

 少年法第22条で定められた審判非公開については、私の理解では審判そのものを非公開とすることだと思っているが、法務省は捜査資料も含めて審判内容に関わるものはすべて非公開と考えているようだ。しかし、これほど日本中を震撼させた事件については、動機に関わる部分はきちんと公開すべきだというのが私の意見である。重大な少年事件が発生すると、直後には洪水のような情報が氾濫するが、一ヵ月も経たないうちに収束し、やがてまったく報じられなくなってしまう。その理由は少年法の壁に遮られ、取材者が情報を得ることができなくなるからだ。

 確かに著者の主張にも一定の理はあるように思う。
 少年審判の供述調書についての明確な解釈がないのであれば(もしかしたら判例があるのかもしれないが・・・)、そういった見解を持つのもやむを得ない部分があると思う。また実際に作中に引用された供述調書は、当然ながら事件直後に報道されたワイドショーなどと一線を画す部分があり、事件を考えるには真実を知らなければいけないというのは確かに重要な点であろうと思う。

 ただそういった点を考慮しても、僕はこの本に対して否定的な見解を抱いた。
 まず法務局が指摘したプライバシーの問題。この点に関して、必要以上に踏み込んでしまってると思う。これはこの本の中において、必要以上に事件に対しての自らの主張を展開しているがゆえと感じた。
 例を挙げるなら、高校に入学してからの少年の点数が全科目について公表している点。些細な点、と思われる方もいるかもしれないが、出版社からの紹介にもあるように、著者は事件の最後の引き金として、英語の点数が低かった事を挙げている。これなどは、べつに細かい点数を公表しなくても書けるのではないかと思うし、必要以上にクローズアップしすぎていると思う。
 これは著者が常々問題提議している受験戦争批判に則した展開のように思えてならない。一方でワイドショー的な主観の押し付けを批判しながら、自らの主張に関しては無自覚であるように思えてならない。もちろん著者自身、あるいは出版元である講談社ががこの本に関して真摯な姿勢の元に発表していることを否定するつもりは毛頭ない。毛頭無いが、それでもなお供述調書を引用したならば、その必要性を感じさせる本であってほしい。

 全体として読むならば、どうしても著者の考える真相に沿った供述調書の引用という部分を感じさせる部分が多い。逆に言えば供述調書のみから真相を考えて、それに対する補強の点があまりに弱いのだ。供述調書は確かに生々しいほどの真実性がある。それだけに無自覚的な自己主張への誘導力が強くなってしまう。特に少年の父親への著者の視線は、あまりに一方的な気がしてしまい、事件そのものを個へ責任へ転嫁してしまっている。こういった印象ははたして著者が望んだものだろうか。もしそうなのであれば、机上の論理すぎる。なにしろ著者は少年やその父親、少年の実母への聞き取りを一切行えてないのだ。これは多分にいろんな事情があったからだろうし、現実問題として無理な部分もあるのは理解できる。しかしそれならばもっと違う切り口で本を書かなければいけなかったのではないだろうか。

 法務局の勧告以降、一部の図書館では自主的な貸出禁止処分を行ったところもあるらしい。ここまでいくと過剰反応かなと思う部分がある。
 果たしてこの本を読んだほかのかたがた一体どう思われるだろうか。
 ぜひとも意見をお伺いしてみたいところである。



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