『吉原手引草』(☆4.3)  著者: 松井今朝子


なぜ、吉原一を誇った花魁葛城は、忽然と姿を消したのか?
遣手、幇間、楼主、女衒、お大尽―吉原に生きる魑魅魍魎の口から語られる、廓の表と裏。
やがて隠されていた真実が、葛城の決意と悲しみが、徐々に明らかになっていく…。
誰の言葉が真実なのか。
失踪事件の謎を追いながら、嘘と真が渦巻く吉原を見事に紡ぎあげた、次代を担う俊英の傑作。

yahoo紹介より

第137回直木賞受賞作のこの作品。
この回の外の候補は、過去の候補歴や文藝春秋社から出版ということで本命視された北村薫『玻璃の天』、対抗馬どころかこちらが本命でもおかしくない桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』 といった面々。
ところが蓋を開けてみると、作品として評判はともかく受賞はないだろうと思われていた本作がかっさらっていきました。
僕個人としても、北村薫ファンとして、そして『玻璃の天』の出来を考えてももうあげてもいいだろうと思っていたのだが・・・というよりこれで逃したらいつあげるんだという気もするが(まあ、もう北村さんは直木賞を貰わなくてもそのレベルは超えてると思うんですけどね^^)。

まあ、そんなこんなでこの面子から直木賞をかっさらた本書はいったいどんなもんなのか、興味をもって読みました。
もちろん初めての松井作品です。

内容の語り口としては、古くは芥川の『藪の中』、最近では浅田次郎の『壬生義士伝』などの諸作品、あるいは恩田陸の『Q&A』のように、聞き手(最後に正体が明かされます)が花魁葛城が失踪した吉原に生きる人々に対して行ったインタビュー(時代が江戸の設定なので、インタビューという言葉は不適切?)を通して、吉原の風俗、そしてそこで起きた葛城失踪事件の真相を浮かび上がらせる形式。

まず、なにより時代劇、そして吉原という一種の亜空間を舞台にしていることもあり、その独特の台詞回しに最初は戸惑います。
そして葛城という花魁が失踪したという事件があったということは序盤でわかるものの、中々事件の内容が見えてこないということでややじれったい部分を感じます。
ただそれを補う吉原の情景が魅力的。
遣手、幇間、楼主、女衒といった語り部の職業。字面だけみてもさっぱり分かりませんが、読み進めていくうちに頭の中にスーッと入ってきます。
吉原というと、政府公認の売春歓楽街、そして「わちき」や「~でありんす」といった独特の花魁言葉ぐらいしか思い浮かばないのですが、吉原に憑かれそこに生きる事を選んだ人たちの心情、そして華やかに見える花魁の表と裏の顔。
そういった部分で、吉原の手引書としても最適なのかも^^

で、肝心の花魁葛城失踪事件。
読み薦めていくうちに少しづつ見えてくる事件の真相。一種の密室的空間だった吉原からどうやって葛城が脱出したのかというトリックは、まあ割りとわかるというか
非常に単純なネタを使ってます。
ただどうして失踪したのかという部分に関しては、中々想像がつかないのではないでしょうか。まあ、書かれていない部分もありますし、語り部達が嘘を言っていないという保障はまったく無いわけで、ミステリとして読んだ場合はアンフェアなのかもしれません。(←個人的にはアンフェアだろうが面白ければ良しというのが私でございます。)
ただ最後まで読み終わってみれば、各章に張り巡らせた伏線をきちんと収束して無理の無い展開になっていると思います。
そもそもこれをミステリとして読むのは、違うでしょと思いますしね。
葛城の心情や、それを巡る周りの人たちの心の動きが不自然という指摘もネットなどで読みましたが、そのあたりに関していえばやはり江戸の吉原という時代を踏まえて考えれば、僕個人としては納得できるものがありましたし、読み終わってスッキリと読後感を味わった気がします。

事件の中心にいるのは吉原一の花魁であった葛城。
その人物像は彼女を取り巻いていた人々の証言によって浮かび上がってくるのですが、これがまた完璧な花魁像。
完璧すぎて人間味を感じないという批評もありますが、それも確かにという感じがします。
ただ、別の側面から花魁というの考えてみるとその姿はある意味無個性な部分が強い職業だったのかもしれません。
数々の儀式的作法を通じて客と接するその姿、そして花魁になるまでに作らざるを得なかった借金に縛られる生活。
その中でトップになればなるほど、芸名(?)という人形となって自分を隠して生きる存在なのかもしれません。
そういった意味では、葛城もまた「葛城」の名を名乗った時点で無個性の存在になったのかもしれません。
そして関係者の語りを通じて、葛城ひいては花魁が隠さざるを得なかった人間性を浮かび上がらせることこそ、本書の狙いだったのかもしれません。

さて最後に冒頭の直木賞の事に話が戻ります。
正直なところをいえば、やはり最初に挙げた他の候補作三作の方が好きです。それは否定しません。
しませんが、この作品もまた十分に直木賞を獲るだけの作品ではあったと思います。
ここまでくると、もはや審査員の好みの影響が大きいなと思います。
とくに浅田次郎なんて、ほんと好きそうだもんな~。

振り返ってみると、本当に今回の直木賞は大激戦だったんですな~。


採点  4.3