『街の灯』(☆4.4)



昭和七年、士族出身の上流家庭・花村家にやってきた女性運転手別宮みつ子。令嬢の英子はサッカレーの『虚栄の市』のヒロインにちなみ、彼女をベッキーさんと呼ぶ。新聞に載った変死事件の謎を解く「虚栄の市」、英子の兄を悩ませる暗号の謎「銀座八丁」、映写会上映中の同席者の死を推理する「街の灯」の三篇を収録。

yahoo紹介より

今年の四月にベッキーさんの『玻璃の天』が発売された。
これは『街の灯』に続くシリーズ第2弾。
ご存知の人も多いと思うが、『街の灯』の記事に関しては、himaさんの記事があまりに素晴らしく許可を頂いてこちらに転載していました。
で、図書館でやっとこさ『玻璃の天』の順番が回ってきたのを気に改めて再読、記事にしてみる事にしました。

個人的に北村作品のベストは『冬のオペラ』なのだが、ある意味その対極ともいえるこの作品も本当に素晴らしい。
北村さんのシリーズ物といえば、「円紫さん」シリーズと「覆面探偵」シリーズがあるが、どちらも日常の謎をベースに探偵と助手的な関係の中で物語が進んでいく。
この作品も、上流階級の英子というお嬢様とその運転手ベッキーさんというコンビが物語の謎を解き明かす。

しかしながらこの2人の関係が探偵とその助手という形かというとそうではない。
英子が謎を提示し、ベッキーさんがそのヒントを与える。それを受けて英子が自らその謎を解き明かす。
いってしまえば、探偵見習いとその先生といったところか。
しかしながらこの物語には、そんな言葉さえ俗っぽく見えてしまう。

この関係に関して、himaさんが素晴らしい考察をなさってるので引用したい(結局himaさん頼みなのね^^;;)

しかしベッキーさんは、結局のところ英子の世界の一つなのだ。ベッキーさんが扉を開けるとしたら<こちら側>になるし、それは英子が主人であるから、だ。
そして扉が開いてもベッキーさんは<向こう側>へは行かない。ともに歩くことはなく、もちろん手を引くこともない。
時々様子を見に来ますから、と言って車で英子の帰りを待っている。

だからこそ、<私「と」円紫さん>シリーズに対して<私「の」ベッキーさん>シリーズとなるのだろう。

つまるところ、この2人は表裏一体なのである。
現時点においては、英子とベッキーさんは主人と使用人の関係なのである。
そしてその関係を維持した上での、英子の成長譚というべきなのかもしれない。

一部分をみれば、これは「円紫さんと私」の関係に似ているかもしれないが、決定的な差異がある。
それはあくまで英子が自分自身の力で成長の扉を開いているのであり、ベッキーさんはそのお手伝いをしているというところだ。
ベッキーさんのお手伝いはあくまでさり気無い。下手をすればベッキーさんがつけた道筋を英子が発見するだけの物語になりそうなところを、きちんと英子が自らの手で道を作っているのである。
この2人の距離感を描き出す北村さんの筆致はあくまで流れるように美しい。
氏の筆致だからこそ、英子は厭味の無いお嬢様であるし、ベッキーさんは押し付けがましい家庭教師ではないのだ。

また昭和7年という時代背景も実によくマッチしている。
この時代でなければ、英子の行動はただの自由奔放なお嬢様になってしまうだろう。
ただ主人と使用人という関係に敬意が成り立つ時代であり、またまだまだ本格的にその姿を現していない激動の時代を感じさせるどこか運命めいたものが、物語に一層の深みを与えている。

登場人物の一人が言う、「悍馬というなら、時代ほどの悍馬はいないさ。ナポレオンでさえ、振り落とされた」。
この言葉には本当に痺れた。その内容としては使い古された新鮮味の無い言葉かもしれないが、この小説において、この一言は物語の過去・未来・現在を一点の無駄も無く言い表している気がする。

全3部作の予定というこの作品。
英子さんとベッキーが押し寄せる時代をどう乗りこなしていくのか。
最後まで目を離せないシリーズである。


採点  4.4