『獄門島』(☆5.0)



終戦から1年経った昭和21年9月下旬。金田一耕助は、引き揚げ船内で死んだ戦友・鬼頭千万太(きとう ちまた)より託された遺書を届けるために瀬戸内海に浮かぶ彼の故郷・獄門島へと向かった。そこは封建的な古い因習の残る孤島で、島の漁師たちの元締めである鬼頭家の本家・本鬼頭と分家・分鬼頭が対立していた。金田一には、彼が息絶える前に残したある言葉が気に掛かって仕方がなかった。

「俺が生きて帰らなければ、3人の妹達が殺される…。」

金田一が島を訪れ遺書を届けたその日を境に、その島で凄惨な連続殺人事件が次々と巻き起こり始める・・・。

yahoo紹介より

いまさら説明するまでも無い横溝金田一の傑作探偵小説。
個人的『僕の好きな横溝正史』の第3位にも選ばせてもらったのですが、実に久々の再読。
『金田一耕助の新たな挑戦』の中の柴田さんの作品を読んで、実は自分が思っている以上に、この作品が好きじゃないのかと思い始めたのが、再読のきっかけでございます。

いや、参りました、ほんと。
すごいわ、この小説。見事なまでに無駄が無い。不必要な要素が何一つないのだ。
初読のインパクトももちろん凄かったのだが、犯人やトリックを分かって上でもう一度読み直すといかにいろいろな面に気を配って書いてあるのかが非常に良く分かる。
登場人物達のリアクションがミスディレクションであると同時に事件解決の大きなヒントにもなっているところや、見立て殺人の重複構造など今のミステリ水準から見ても非常に高い。
そして犯人に訪れる残酷なまでのカスタトロフィ。美しく、そして残酷である。
なにより簡潔な描写で閉鎖的な獄門島の環境を端的に表す著者の筆致の凄さに改めて感服です。

個人的な1位としては『悪魔の手毬唄』を挙げているが、あちらは磯川警部の物語という印象が強い。
金田一自身の物語としては、間違いなくこれが最高傑作でしょう。

これを読んでない人は実に勿体無い。
なにをおいても読むべき国産ミステリの一冊であり、未来永劫語り継がれるべき小説ですね。


以下ネタバレを含みます。



冒頭から、釣鐘の帰還・鬼頭千万太の戦死報告・鬼頭一の生還報告という、ある意味動機におけるすべてが書かれている。
それらが複合する恐怖を感じる和尚の反応、そして町長・村瀬洪庵の印象もまた端的である。
読み返しみて、まさに犯人らしいリアクションをしているのだが、いろいろな要素がそれを見事に隠し切っている。
なにしろメインとなる登場人物がみな適度に怪しいのだ(笑)。
それらはすべて自然なリアクションなだけに、不自然なリアクションが実は自然なリアクションとなっている犯人側、自然なリアクションが不自然に感じられる第3者(早苗、竹蔵など)、これらが交錯して目くらましの要素をなしている。

そして伝説ともいえる「気ちがいじゃが仕方が無い」である。
いまさら説明するまでもないが、これは『気ちがいじゃが仕方が無い』と『季(俳句における季語)ちがいじゃが仕方が無い』という言う二重の意味を持っています。
いやあ、何度も読んでもここはゾクッとします。いやむしろネタを知ってるからこそ、この場面でこの台詞が出てくる異様さを感じてしまうのかもしれません。
この言葉は直後の「第7章 てにをはの問題」で金田一が触れているのですが、これがまた実に効果的なミスディレクションになってる。
実はこの章は昔読んだ時にぎこちなさを感じてたのですが、ミスディレクションとして読んでみるとうま~く隠してます。
いやあ、当時の状況を考えるとこの手際のよさは驚異的ですね。

ちなみに第2の事件では、『突風に煽られ鐘が倒れ、それで死体の首が刎ねられる』という映像にインパクトがあったのですが、実際の小説にはこんなのはなかったのですね^^;;;


映画といえば、有名なのが犯人が違うということ。
感覚的に納得できるのは実は映画版、底知れない悪意という意味では小説版というところ。
この犯人の改変には横溝御大も楽しんでおられたようで、心が広いな~^^

そういえば、この事件で「もっと早く俳句を読めていれば」というのがありましたが、後年『悪魔が来たりて~』でも犯人から同じような事を指摘されてましたね~。
金田一ってあんがいオトボケさんなのかしら?



採点  5.0