『探偵小説と二〇世紀精神~ ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?~』(☆3.0) 著者:笠井潔



ダイイングメッセージ、クローズドサークル、犯人特定の論理、読者への挑戦―。第1部では探偵小説を語る上で不可避の論点に、エラリー・クイーン初期の傑作『ギリシア棺の謎』『シャム双子の謎』などを引きながら挑む。第2部では"第三の波"とポストモダニズムの照合によって浮かび上がる、探偵小説の歴史的位相を鮮やかに解明する。法月綸太郎氏との対談も収録。話題を呼んだ『ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?』に続く鮮烈な評論集。

目次

はじめに―探偵小説と二〇世紀精紳
1 形式体系と探偵小説的ロジック(クローズドサークル叙述トリック
探偵小説キャラクターのアイデンティティ
被害者とダイイングメッセージ ほか)
2 第三の波とポストモダニズム(過渡期にある第三の波)
透明な世界の不透明化
人形の時代とポストモダニズム ほか)
対談 現代本格の行方(vs.法月綸太郎)

yahoo紹介

現在のミステリ界において、作家兼評論家の第1人者といえる笠井潔
そんな氏の『ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?』に続く評論集。
なぜかウチの近くの図書館にはそれぞれが別々の場所においてあり、続編であるこちらの方から読んでしまいました^^;;

この評論集は、2000年10月~2003年4月の間『ミステリマガジン』に連載されていたものを収録したのものである。
ちなみにこの時期はに、笠井は雑誌「EQ」において、矢吹駆シリーズの第5弾『オイディプス症候群』を連載している。
最後に収録されている法月綸太郎との対談によると、どうやらそれぞれの作品はかなりの関係性を持ったものらしい。
どうでもいいが、『オイディプス症候群』の連載版では矢吹駆は閉鎖空間(館)の外にいて最後にしか登場しないものだったらしい。
単行本版ではもちろん序盤から登場している。
笠井曰く、『綾辻の「十角館の殺人」のようにクローズド・サークルの外部に探偵が存在する形から、「霧越邸殺人事件」のように探偵がクローズド・サークルの内側に探偵が存在する形に変更した』そうな。

実はこの変更、本作の第1章、「Ⅰ 形式体系と探偵小説的ロジック」と対比すると実に面白い。
笠井はこの第1章において、クローズド・サークルにおいて探偵不在の小説だったアガサ・クリスティそして誰もいなくなった」と、探偵がその内側に存在したエラリー・クイーン『シャム双子の謎』を比較して展開される、探偵小説におけるクローズド・サークル論は圧巻の一言だし、さらにはその『シャム双子の謎』におけるメタ探偵小説的要素に先んじて、論理的探偵小説の傑作と評価される『ギリシア棺の謎』の論旨の瑕疵(そもそもそんなものには気づきませんでした^^;;)から実はこれもまたメタ探偵小説的要素を内包した作品であることを指摘する。

この一連のくだりの中で、笠井が展開する論旨は法月や巽などが展開したクイーン論を取り上げつつ、それらを踏まえた上で新たな視点を構築している。
ここで展開される論旨の構築は、まさに物証を一つづつ積み重ねた上で真相が明らかになる探偵小説の構造としても超一級の切れ味を持っている。
とにかく引用される作品を既読の読者にとっては、ぜひとも読んでもらいたい、それほどに重厚かつエンターテイメントなのだ。
また1960年代における社会派の台頭とともに論じられたリアリズム論に言及する箇所などは、その視点の鋭さに思わず膝を叩いてしまった。

このリアリズム論に関しては、近く「内田康夫と西村京太郎に見るマンネリズムの差違」という雑文を書こうと思っているので、期待しないでまってて下さい(笑)。

この本書、個人的には第1章を読み終えた時点で間違いなく☆5つクラスの作品だった。
それが一転「Ⅱ 第三の波とポストモダニズム」に入ると、一気に興が醒めてしまった。
論旨としては、笠井がしばしば言及する第1次世界大戦以降の大量死が探偵小説に与えた影響を含めた哲学的なものなのだが、いかんせん難しすぎてさっぱり分からん。なにしろその中でミステリについて具体的に言及することがほとんどないのだから、興味のないものにはコメントしようがない。

その後に収録された法月との対談がそれなりに面白かったので読後感は悪くなかったが、やはり笠井潔の壁は高い。
『小生物語』で笠井との対談に恐怖した乙一の心境が改めて偲ばれてしまった(笑)。


採点  3.0