『饗宴(シュンポシオン) ソクラテス最後の事件』(☆4.3)



ペロポネソス諸国との戦争をきっかけに、アテナイは衰微の暗雲に覆われつつあった。そんななか、奇妙な事件が連続して発生する。若き貴族が衆人環視下で不可解な死を遂げ、アクロポリスではばらばらに引きちぎられた異邦の青年の惨殺死体が発見されたのだ。すべては謎の"ピュタゴラス教団"の仕業なのか?哲人ソクラテスが、比類なき論理で異形の謎に挑む!野心溢れる本格推理。

yahooより

柳広司、一癖も二癖もある作家である。
デビュー長編『黄金の灰』で黄金期のミステリを解体し、アンチミステリ的世界を構築。
同年発表された『贋作『坊ちゃん』殺人事件』では、近代文学の名作夏目漱石「坊ちゃん」をそのまま前段として取り込むことにより、斬新なメタフィクション的世界を作り上げた。
そして、今作ではギリシアの偉大なる哲学者にしてプラトンの師ソクラテスを探偵役に据え、日本ミステリの金字塔『虚無への供物』を彷彿させる世界感を醸し出している。
それにしても、正当なミステリでありながら一方で限りなくメタな香りを漂わす3つの作品を、すべてデビュー年に発表しているのだから面白い。

さてさて今回の探偵役ソクラテスである。
作中でもしばしば彼の口から漏れるように、ソクラテスは自らを「自分は何も知らない」人間と位置づけている。
何も知らない男=探偵という構図はミステリとしては異質ではある。
とはいっても彼自身が愚者として描かれている訳ではない。冒頭から彼が愛するアテナイの街で起こる不思議な事件を彼は解決する。
しかしながら彼自身はこれを『言葉(ロゴス)』のもたらす当然の帰結であると述べる。つまるところ推理ではなく、数多ある可能性の中の一つを語っただけであると。

この『言葉(ロゴス)』こそが、物語を彩る最大のキーワードである。
物語の中盤で古代の有名な寓話『アキレスと亀』(日本に置き換えると、「うさぎは先に行く亀に永遠においつけない」という有名なパラドックス)から、「感覚や経験に代わる言葉(ロゴス)の存在」を導き出し、これが物語の世界への大いなる伏線とさせる手腕は見事。
すべてが明らかになる場面での謎解き合戦の場面などは、古代ギリシアにける神々論や国家論であると同時に、現代世界における皮肉が透けて見える。
同時にミステリとしての探偵論にまで言及する雰囲気などは、「虚無への供物」や笠井潔に通じる部分もあるのではないだろうか。
そういった意味でも、先行の作品も含めて探偵が歴史上あるいは創作上有名な人物を起用する必然性というのがこの作品もきちんとあった。

思うに、この作家の場合まず主題的な命題があり、そこから誰を登場人物に据えるかを考えているのではないだろうか。
だからこそ、主題と現実のリンクがいい方向に働いていると思う。
鯨さんのタイムトリップ物のように(といっても1冊しか読んでないが)まず人物ありきの荒唐無稽な面白さもそれはそれで十分に楽しいのだが、きちんと歴史を踏まえた上で物語を語る著者の筆力は評価に値するものと思う。

ミステリ的な部分においてはメタ的要素に傾いてる部分があるものの、最初の殺人事件のトリックなどはギリシアの風俗を十分に生かしたユニークなもの(きちんと伏線も張られている)だし、そういったところでもきちんと楽しめる作品だと思う。

いやあ、三作読んで三作とも高いレベルであたりの作家。
既出作品はまだまだあるし、しばらくは楽しめそうだ。


採点  4.3