詩:福永武彦『ある青春』より

本学家協会に入会する際に挙げさせて頂いた福永武彦の『草の花』。
最近やはり協会員のめぽさんがこの本を読み記事を書かれ、その記事のコメントの中で福永武彦の詩集に興味を持って頂いた。
ただ現在福永作品は一部の小説をのぞいては非常に入手しにくく、大型図書館で所蔵されているところを調べるしかないのが実情です。
ということで、今回は福永武彦が昭和23年に私家版として発表した詩集「ある青春」の中から2編紹介したいと思います。
この2編はタイトルからも分かるとおり、対になった作品であり福永の詩を論ずる時には必ずといっていい程紹介される作品です。
私も大学時代の詩のゼミの発表でこちらを取り上げさせて頂きました。
福永文学のルーツも伺えるこの2編の詩、みなさんいかがでしょうか?


ひそかなるひとへのおもひ

         1

ひとりぽつねんとこの手すりに凭(もた)れ
ひそひそといふ水音に貝がらの耳をあておう
むかしのあこがれはまたさながらに戻つてきて
暗いうたかたに咽び泣いてゐる
灯のともつた鐘楼からひびきは黄昏にこだましても
椿の花はもうこの流れを流れてはこない

         2

だるまの月がみなかみにしみ出る晩
神秘はうす靄(もや)ににほつてゐたが
あのほとり悲しい夢はいくつも割れて
お前は魔性のやうにひびの入つた古時圭

         3 

この油の流れてる海を行くふねのともに立つて
ほそぼそとしめる雨に頬を濡らさう
ぢつと眼をつぶるとどこかの遠いところ
なくなつた母さんがいくばくの時を越えて
つつましくそつと呼んでくださる
それでも幼い日の甘えのひとは今はどこに
苦しみを病んだ心にさち多い愛はもうかへらない

         4

ひとひ もの思ひにしづんでは
濡れた石畳に坐つて海草を口に噛んだ
太古への幽愁ははるばると虹のやうに
ひそかなるひとへのこのおもひは侘びしい
小さな石を回想の水面に投げても
石ははかない放物線 あきらめへの晩(おそ)いめざめ

         5

戸田は眠つてゐる漁師まち
煙草やのかどに海が見えてる
生簀に啼くよこしまな鴉のいくつ
あつちへ行きたい と子供が指をさした
通ひ汽船の汽笛がくもり空に余韻して
港はひつそりかんと暮れてしまつた
ああひとりぼつちの身に
この嘆きはいつまでだらう

         6

もうお祭りの賑ひもありはしない
はしけは砂にあげられてるし
ぎいぎちと咽ぶ櫓のため息も聞えない
こころないひとの笑みも この執着もうらぶれて
うつろな瞳あげればただ松風の音ばかり
今はせめて遠い日のととのひをおもひ
くだけた貝がらを夜光虫の海にすてようね

続・ひそかなるひとへのおもひ~5年ののちに~

         1

みんな行つてしまつた
あの松の林をわたつた風のいぶきも
輪まはしをしてゐた少年の姿も
港を出て行く通ひ汽船のさびしい汽笛に
ぼくたちが首をあげて 遠い日をおもつたやうに
みんないつのまにか行つてしまつた

         2

戸田ではあひかはらず春になると
桜の花がみさきの砂浜に白く散り
子供たちの遊んでゐる石畳の上には
魚のにほひが幽(かす)かにこびりついてゐるが
ぼくたちがむかし愛したやさしさも たのしさも そして心も
みんないつのまにか行つてしまつた

         3

うち海の潮の蒼さをうつした頬に
月の光はしづかにゆらぎ
貝がらのかたい心によせる
おもひをひとは知らなかつた
日を越えて褪せぬ愛はありながら
あの頃の白い涙も ほほ笑みも そして夢も
みんないつのまにか行つてしまつた

         4

だるまの山にははやり風が立ち
戸田の海には夜光虫がきらめいても
死んだひとは帰らない もう帰らない
そして青春も 希望も かなしいいのちも
みんないつのまにか行つてしまった


                   戸田は伊豆西海岸の一漁村
                   修善寺道にだるま山がある