『九十九十九』(☆4.4) 著者:舞城王太郎



「苦しさを感じるなら、僕なんて愛さなくていいんだ」。聖書/『創世記』/『ヨハネの黙示録』の見立て連続殺人を主旋律に、神/「清涼院流水」の喇叭(ラッパ)が吹き荒れる舞台で踊りつづける超絶のメタ探偵・九十九十九の魂の旅が圧倒的文圧で語られる。
"世紀の傑作"はついに王太郎の手によって書かれてしまった!「ハァレルゥヤ」。


あの清涼院流水の「JDC」シリーズのトリビュートを舞城王太郎が書くというある意味トンデモナイ企画。
おそらく舞城作品でも最長のこの作品、中身は想像以上に凄かった(笑)。

「JDC」シリーズを読んでる事が前提ではありますが、読んでもなくてもまあ大丈夫。
冒頭この世に生を受けた九十九十九.。彼が微笑む度にそれを見た人は気絶。あまりの美しさゆえに目をくりぬかれても生きてる謎の男。
そんな彼が次々に起こる怪事件を次々に解決していきます。

一瞬ちょっとパンクな新本格。でも、本家流水大説に勝るとも劣らない言葉遊びとやり過ぎな見立て殺人の数々。
さらには一章終わるたびにそれを内包した次の章が展開される、『匣の中の失楽』や『ウロボロス』でもお馴染みのメタミステリ。
さらには、笠井潔を意識したと思われるミステリー批判とアンチミステリ論。
圧倒的なスピード感を保ちつつ、どんどん読者を置いてけぼりにしてくれました(笑)。

その中でも清涼院流水(本物ね)に関する件は創作なのか、それもと本当にこういう人なのか微妙なところがツボでした。
清涼院氏が書くいわゆる「流水大説」の変遷について本書の中で言及されているので、そこを並べてみると

流水大説」→「述べる主(す)」→「述べ足り内(ない)」→「述べ切れ内(ない)」→「NOVELLA例無い(のべられない)」
→「脳辺那井(のべない)」→「もうお前とは喋ってやんね~世」

訳分かりません。訳わかりませんが、本物の清涼院氏も言ってそうなのが怖い。
なにしろ、ノベルズの最上級にノベリストという形式があって、今それを書いても誰も理解できないからまだ書かないと本気で語ったといわれる氏ですから(笑)。

ただ、全編こんな調子で進みつつも鋭いミステリ批評をかましてるから侮れないんですよね~。
特に名探偵と作家の位置付けと名探偵の存在意義に関する考察はなかなか面白かったし、それがこのメタミステリと上手く絡み合って無茶な世界観を成立させているのがすごいです。
もうどこまで計算して書いてるんだ王太郎。

最終章とその一つ前章、ダジャレとSF的世界が交錯して完璧に理解不能な、なおかつ論理的(なのかもしれない)推理が展開されるに至ってはもうJDCシリーズを離れて一個の完全なるミステリ小説になりうるにも関わらず、おそらく確信犯的にそこから逸脱。ミステリの形式をとりながら、徹底的に茶化す姿はまさに舞城文学。
その傍若無人っぷりはもう清涼院流水なんて目じゃない。っていうより、島田御大の「御手洗潔」や笠井潔の「矢吹」をこういう風に使って、元ネタの人が怒らなかったのか気になるほどです(笑)。

とにかく分け分からないけど面白い前半だけだと5点を挙げたくなりましたが、あまりにメタが奥深いところに行ってしまい置いてけぼりされたので少し点数を下げました。
いやあ、とにかく粗筋を説明するのが殆ど不可能なこの作品。あとはご自分の目で確かめて下さいまし。