『このミステリーがひどい』(☆大爆発)  著者:小谷野敦

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 40年以上に及ぶ推理小説渉猟の結論! その作品は本当にすごいか? 世評の高い「話題作」「人気作」は90%がクズ、ひと握りの名作を求めつづけた濫読人生。
  世の『ミステリー帝国主義』に抗して、推理小説嫌いの著者が唱える“ひどミス”論。



Amazonより

 喜国さんの『本格力』を読んでいた時期、この本を古本屋で見つけて購入。実は発売した頃にチラチラと立ち読みはしてたんですけど、これはやばいな、と手に取りませんでした。

 で、感想はというと、もう読書歴の中でトップクラスの壁本でした。いや、分かっていたけどね。とりあえず、ネタバレ全開なのは前書きで言ってるからしょうがない。なぜバカミスなのかを説明するにはネタバレを忌避する訳にはいかない、という著者の持論なので、ネタバレで怒るのは筋違いなんだろうと割り切る。ただ、同じ前書きの中で、

 だいたい「ミステリー」あるいは「ミステリ」といった言葉が嫌いである。元々は「探偵小説」で、戦後は「推理小説」だった。「スリラー」などと呼ばれたこともあったが、今ではキザに「ミステリー」などと言う。「エンターテイメント」なんてのも、「エンタメ」などと言われているが、私は「通俗小説」とか「大衆小説」で良かろうと思い、これまで文書を書く際も、努めて「ミステリー」や「エンタメ」は使わずに来た。だが、この本では、悪口を言うのだから、ミステリー、と書いてやろうではないか。

と、ある。まったく意味が分からないし、ミステリーが悪口なのも理由不明の著者の価値基準でしかない。ミステリーがキザな言い回しというなら、「薔薇の名前」のところで意味もなく「原文で読んだんだった」とアピールする方がキザじゃねえのか、とツッコミたくなる。

 本編の方も、万事がこの調子。単純に自分の好みだけで語ってるし、その理由が深くは語られない。確かに結局は好き嫌いは重要だから、嫌い本は嫌いでもしょうがないんだろうけど、そもそもの著者の基準がミステリ読みに向いてない。
 著者は作中でドラマ『刑事コロンボ』が好きだと言っている。コロンボは多くの方がご存知なように、いわゆる倒叙形式のドラマである。著者はその面白さについて「犯人は完全犯罪を目指すわけで、コロンボがいかにその穴を見つけるか、犯人を追い込むかというところが面白いのである」と言っている。ここはいい、そういうのが好きな人も大勢いるし、僕もコロンボが好きだ。
 ただその後に続く文章、「だからコロンボが面白いのに比べたら、誰が犯人かなんてどうでもいいことで、『読者への挑戦』なんてやっているミステリーっていうのは何とバカなものか、と思う。」、なんじゃそりゃ。嗜好の好みから外れたらバカってことなのか???好みから外れたら、コロンボでも凡庸なんだそうだ。(例えばコロンボでは珍しいフーダニットの『さらば提督』とかが該当するが、その意外性を楽しむ作品だと思うんだけどな~)

 そしてここから著者の読書遍歴を経て、いかに推理小説嫌いになったかが語られる。その中でも王道の作品は多少は通ってきている。まあ、「モルグ街の殺人」の犯人が◯◯だったとか、ホームズの「まだらの紐」の凶器がアレだったとかは、バカミスというか読む人によっては呆れるだろうというのは理解出来るけど、峰不二子みたいな女が小説に出てくると嫌になってしまう、なんてのは本当にどうでもいい。女が出てこない小説とかいうのが嫌いだとか、夏樹静子の美貌が好きだったので作品を読んだ、というのはもっとどうでもいい。

 さらに著者を決定的にミステリー嫌いにしたのはクリスティの『アクロイド殺人事件』なのだが、その理由がなんともはや。扉の紹介文に意外な犯人と書いてって、途中まで読んで意外な犯人となると、◯◯か◯◯しかいないだろう、と思いながらそれでも思って最後まで読んで激怒したらしい。さらに激怒の理由が、「意外な犯人」と書いた紹介文が悪いわけでも、記述の矛盾とかいう理由でもなく、「たったそれだけのことで、いかにもいわくありげに、色々な登場人物を出して、面白くもない長いストーリーを読ませたこと」だそうだ。
 好きか嫌いかでクリスティが合わなかったのならそれそれでしょうがないが、これがバカミスだというなら、理由が理由になってないと思うし、本当に推理小説読みに向いてないだろ、この人は。
 なんだか、ほんとにブロガー仲間のゆきあやさんが聞いたらそれこそ激怒しそうだ。ちなみに同じ理由で横溝正史の『◯◯◯』(これもゆきあやさんが好きだって言ってた気がするな~)もボロクソに言っていて、その感想はAmazonの該当作品のレビューで読むことが出来ます(笑)。

 『ナイルに死す』という邦題に「ポワロがナイルで死ぬみたいじゃないか」とよく分からんクレームをつけたり、ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』『グリーン家殺人事件』を「バカミス的な面白さもなく、ただつまらない」と言ってみたり、作品の好き嫌いは別にして、明らかにズレた感覚で批評してみたり、「バカミスの帝王といえば泡坂妻夫だろう」と初めて聞く論を述べたり、やりたい放題。連城三紀彦を小説が下手な作家なんて思う人は数少ないと思うぞ。。

 なんとなく、意外な犯人やトリック、といったミステリとして一番楽しむ要素がお気に召さないのか、と思うと、貴志祐介の『硝子のハンマー』のようなコテコテな作品を激賞している。恩田陸の「夜のピクニック」や「ユージニアを読んで、「泉鏡花のような作風を狙っているのか」直木賞を取れないのに納得」といっているが、取りましたぜ。東野圭吾が人気作家としては寡作?そりゃ、全盛期の赤川次郎さ西村京太郎さんにくらべたら、だれだって寡作になっちゃいますがな。

 さらには、近年の日本の小説や映画に顕著な事として、登場人物の階級が曖昧にされている、いったいこれらの登場人物はどこの大学を出て、どの程度の頭を持っているのか、ということがとことんわからない」というのがあるそうで、そのあとやたら学歴の話が続き、挙句に「『赤毛のアン』が好きなのは、二流大学卒の女子あたりが中心だろう」と延べ、その根拠が「私と同世代より下で、東大にいて『赤毛のアン』が好きだという女子には会ったことがない」からだそうだ。学歴のこともそうだが、どうもこの人は女性に対しての視点が斜めってる気がする・・・。

 ここまで書いても、実はツッコミたいことの半分も書いてないだけれども、まあ、結局はこの人は推理小説を読むのに向いてないんだろう、と思うしかない。好きな本を酷評されるのは気持ちよくないが、それでも理由がわかればそういう見方もあるんだな、と思うぐらいの度量はあるつもりだが、この本に関しては本当に最後まで好き嫌い論に終始した批評性も殆ど皆無だったと思うし、なぜこれを書いたのかチンプンカンプンだった。

で、最後まで残った疑問。

「著者のいう『バカミス』の定義とはなんですか????????」



採点  ☆大爆発