『Deep love アユの物語 完全版』(☆1.4) 著者:Yoshi



2000年、春。渋谷の高校生たちの間で、1人の少女が伝説となりました。彼女の名前は『アユ』。ケータイサイトで発表された連載小説『Deep Love』の主人公。
エンコーをする17歳の少女。人から愛されること、人を愛することを知らず、生きることに何の意味も見い出せないアユ。笑顔を、涙を忘れていたアユ。しかし、ひとつの出会いをきっかけに、傷つきながらも少しずつ心を取り戻し、愛を見つけ出していく。
そんなアユの姿に共鳴した読者により、『Deep Love』の存在は口コミで広まり、サイトへのアクセス数は実に2000万件を突破。アユに共感し、涙した読者から何万通ものメールが寄せられました。そこにつづられているのは、冷めた世代といわれている少年、少女達の隠された心の叫び。
連載されていたアユの物語に加え、アユとともに変わっていく周囲の大人たちや恋人、友達の物語も同時収録。
ケータイ小説、待望の完全版。

yahooより

ふう、読みました。2003年度年間ベストセラー文芸部門トップテン入りを果たした、ケータイ小説の元祖(?)Yoshi氏の代名詞的小説。
最近、氏の他の作品がドラマ化される事が多かったので、まあ話のネタに。。。

シリーズ累計170万部の売り上げですか。
マジで。。。。

この人といえば文章の稚拙さが叩かれてますが、正直『リアル鬼ごっこ』よりはましだった。
確かに二人以上の会話では喋り手ごとに「」と『』を使い分けたりと常識外れの文体を使用してたりしますけど、まあケータイ小説という特殊な媒体での連載に対しての新たな表現法として、優しい目で見ることも可能。

でもね、結局中身がね。。。
読んでて一番気持ち悪いのが、一般的にいうところでの地の文における視点がもうむちゃくちゃ。
その理由のひとつに、とにかく登場人物の心境が余すことなく語られるという驚愕の実態があるということ。
普通の小説を読むときのような、この台詞を言っている時の喋り手の心情を考察したりするといった作業の必要がありません。
とにかくすべての心の叫びが、まんま地の文に書かれてるわけですから。
もう思考を停止しても読めますな。

その結果、地の文における主観(たとえ三人称でも、登場人物の誰か一点に主観をおいて書くのが普通)があっちこっちに飛ぶ。
例を挙げると、地の文においてアユの視点で友人レイナを語っていたと思ったら、次の行ではレイナ視点のアユだったり。
こんなことが一つの段落で何回も起きるんですな。
さらには書き手の主観も登場する。そして、そこまで細かく書いてある割には断定口調だったり、推測だったりするからとにかく混乱。
合間には<>に綴じられた作者の説話的モノローグ(これがまた薄っぺらい。。。)が入ってくるのですが、それすらも時々地の文とどんな違いがあるんやねんと。

物語的にも、とにかく平板。盛り上がろうにも盛り上がれないしな~。
いや、たくさんの読者が泣いたっていうのも分からないではないですよ。過去のトラウマを背負いエンコーする女子高生が真実の愛に目覚めるも、その先に・・・っていうストーリーはある意味定番の形(金城武深キョンの「神様、もう少しだけ」を思い出してしまいました)ですからな。
でもねえ、ここまで何もかも語られてしまうと、こっちが考えて感情移入していく余地すら無いわけですわ。

本を読まない人のための小説ですか。
その結論は、情景や会話だけでなく、登場人物の心情など何もかも書いてしまって、何も考えずに読む事が出来るってことですな。
う~ん、ここまで行き着くとほとんど宗教のような気がするんですが。
っていうか、そこまで無理して本を読むこともないんじゃないかとすら思ってしまう。

この後、シリーズは『第二部 ホスト』『第三部 レイナの運命』『特別版 パオの物語』とある訳ですが、すいません、私はここでギブアップ。
リアル鬼ごっこ」よりはましだと思う。でもそれは目くそ鼻くその差なのさ~。

ちなみに、Yoshiのサイトを見てびっくり。
田村正和伊東美咲主演映画『ラスト・ラブ』ってこの人が原作だったのね。。。


追記
記事を投稿する時に、援○交際がyahooブログの禁止ワードに引っ掛かりました。
べつに放送禁止用語じゃないよね、これ?
っていうかyahooブックスの紹介にも登場する単語にまで制限かけるなよ。。。


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