『三月は深き紅の淵を』



鮫島巧一は趣味が読書という理由で、会社の会長の別宅に二泊三日の招待を受けた。彼を待ち受けていた好事家たちから聞かされたのは、その屋敷内にあるはずだが、十年以上探しても見つからない稀覯本『三月は深き紅の淵を』の話。たった一人にたった一晩だけ貸すことが許された本をめぐる珠玉のミステリー。

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ううむ、これぞ恩田陸の本質というべき物語のかたちなんでしょうか、非常に感想が難しいぞ~。

「三月は深き紅の淵を」という幻の作品を巡る4つの物語。とはいっても全編読み通してみても「三月は深き紅の淵を」の正体が見えるどころか、ますます混沌の闇の中に消えていく。

1章から3章までは、一つ一つの物語として「三月は深き紅の淵を」を浮かび上がらせますが、4章に至っては息苦しい程の錯綜した世界の中でともすると読者は今立つ場所がいつのまにか消え去っていってしまってるような感覚に陥ってしまいます。
これは読者でも編集者でも登場人物たちでもなく、作者の為の物語なのでしょうか?
いや、もはや作者さえも「三月は深き紅の淵を」が描き出す物語を求めて、混沌の世界へ踏み込んでしまってる気すらしてしまいます。
その先にあるのは本当の小説家しか見つけられれない「小説のなる木」なのか・・・。

物語の為の物語。
作者は登場人物のこう言わせている。

「いいものを読むことは書くことよ。うんといい小説を読むとね、行間の奥の方に、自分がいつか書くはずのもう一つの小説が見えるような気がすることってない?それが見えると、あたし、ああ、あたしも読みながら書いてるんだなあって思う。逆に、そういう小説が透けて見える小説が、あたしにとってはいい小説なのよね。」

結局行間から浮かび上がる物語こそが「三月は深き紅の淵を」なのかもしれない。
とすると、それは絶対に存在する小説であり、また絶対に存在しない小説なのである。

物語は物語を紡ぎだすモノが存在する限り永遠に終わらないのであり、この小説が紡ぎだす物語もまた終わらない。
物語の続きがどこにあるのか、『黒と茶の幻想』そして『「麦の海に沈む果実』が非常に楽しみになってきた。

さてさて今日も自分の「三月は深き紅の淵を」を探す為に、本を開いてみようじゃないか。