父のこと、母のこと

大学進学の為、東京にでて10年。
再び広島の実家に舞い戻ってきて感じることは、うちの両親はいい夫婦やの~ということ。

二人とも地方公務員としてずっと共働きを続けてきました。
両親ともそれなりに高学歴ながらお互いに尊敬しあい、時には意見をぶつけ合いながらも、仕事をこなしてきました。
時には部下を庇い、不条理な事には上司に意見し、疎まれつつも任された仕事をそれこそ真摯な姿勢でこなしてきました。

そんな大変な中、家庭をきちんと考え、父は休みには僕達の遊び相手になり、母は毎日弁当と食事を作ってくれました。
時には、二人手をつないで映画に行くなど、妙に可愛い部分もあったりして、息子から見て微笑ましい夫婦だと思ってました。

しかしながら、数年前父親がパーキンソン病である事が発覚。
両親とも、仕事と病気との闘いの両立が始まりました。
徐々に体の自由が利かなくなる中で、服を着替えるのを手伝ったり、出勤時間が早くなっても二人で出勤したりという生活が続いたようです。

その中で、いつのまにか母の方が父より役職が上になりました。
正直、一人ではネクタイを締めれない、体の震えやよだれが出てしまうなど、父は公務員でなければ働くのが難しいのではと思うぐらいなので、
これはしょうがないと思います。
でも父はそれに対して僻むでもなく、母に対して仕事のアドバイスを送り続けてます。

母の仕事は、家庭における女性へのDV問題、児童虐待、障害者対策を兼ねた施設のトップにこの春配属されて、なれない仕事に毎日苦労してます。
その中で父との仕事の会話が、心の安らぎの部分になってるんだと思います。
父もかつて同様の部署に配属されていた経験があるので、母の苦労が分かるんだと思います。
時にはアドバイスを、意見を、励ましを、食後のコーヒーを飲みながら交わす会話が母にとっての明日への活力になってるんだと思います。

それは父にとっても同じ事。
体を動かす事がだんだん不自由になりながらも頭の回転は変わらない訳で、母と仕事の会話を交わす事で父にも張り合いが生まれてるんだと思います。
休みの日には、二人連れ立って(あるいは僕と3人で)出掛ける時も、父の体を気遣いつつ、でも必要以上に障害者扱いしない母に、父に対する毅然とした強さと優しさを感じます。

これから父の病状が進むと母や僕も父の介護という難しい問題にぶつかるという事は間違いありません。
でも、この両親を見ていると、絶対に乗り切れるような気がするんですよね。
そしていつの日か、この現在不治の病とされてるこの病気に特効薬が見つかって、父に元気な姿が戻れる日がくるような気がします。

この両親の子供に生まれてよかった。
その感謝の気持ちをこめて、毎日仕事で疲れた両親の為に出来るだけ美味しい食事を食べてもらおうと頑張る毎日。
それにしても、いろんなメニューを考えながら毎日作り続ける主婦の人はホント偉いと思いますわ~。