『水没ピアノ 鏡創士がひきもどす犯罪』



お祭り騒ぎは、もうお終い。今回は愛をめぐる三つの物語だ。暗澹たる日々に埋もれた無様な青年。悪意から逃れられない少女を護り続ける少 年。密室状況の屋敷の中で繰り広げられる、贖罪を含んだ惨殺劇。それらは歪んでいて、壊れていて、間違っている。でも確かに愛の物語なのだ。俺は行動を開 始した。その目的は、水没した全てのものを引き戻すため。そして、その果てに浮かび上がる真相。
そこにはもう、馬鹿げた世界は存在しない。

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あ~、こう来たか~。
裏表紙のあらすじに「もう、馬鹿げた世界は存在しない」って書かれてたので~、ああいう終わりはないのだね、と承知してましたがかなりまともな作品になってます。文章もさらにまともになってます。
まあ登場人物なんかはやっぱり壊れてる人多いですけど。でもその印象で読んでると、事件の謎が明らかになっていく部分ではあまりにまっとうな事に逆に違和感を覚えるかも。
ただその分読み物としては洗練されてきた感じもしますね。壊れた登場人物をきちんと収束されて、その収束をするという部分すら小説の中に取り込んでると思いますね~。
まあ、1,2作目のファンの人としては物足りないと思いますけど(笑)。

しかしこの本を読んで一番に思ったのは、本自体の感想よりもこの人ほんとミステリなんてどうでもいいんじゃないか。いや、それが別に悪いとは思わないんですけど。今回は、西尾維新浦賀友宏を足して舞城王太郎で割ったような作品・・・ってデビュー自体は維新より先なんですね~。

デビュー作では舞城さんの影響が強かったと僕は思うわけですが、それはミステリの枠組みの部分ではなくあくまで文章や世界観と言うか。維新さんなんかを感じるのも同じで、「クビキリサイクル」なんかは「壊れ」と「キャラ立ち」の部分が強烈にあるものの、根っこにはミステリがあったと思うわけですが、佐藤さんなんかは前者の部分をこの作品なんかにはより投影してる気がするんですよね~(あるいは維新さんがこれに影響を受けたのかもしれませんが)。

だから佐藤さんにとってが小説はあくまで表現により自己世界であって、ミステリという手段はその枠のひとつに過ぎないのではないかと。そういう意味ではジャンルに捉われない(完成度にも捉われない?)メフィスト賞から出て来たのはあるいみ必然かも・・・・。

ここまでの3冊にみえる文章表現の変遷を振り返ってみても、遠からず佐藤さんは完全にミステリから離れてしまうような気がするのですが・・・・。