『本の楽しみ』

このブログにもよく書き込んで頂いてる、ちいらばさん。
実は、謎の組織「日本本楽家協会」会長をなさってます。→詳しくは本楽家通信『ふしぎなぽっけ』まで。
ちなみに本楽家となにか?ちいらばさんのブログによると。定義はこんな感じだそうです。

 1. とにかく本を読むのが好きな方。
 2. 本(雑誌、マンガ含む)や書皮、栞、蔵書票、蔵書印など本関連のものを集めるのが好きな方。
 3. 図書館や新刊書店、古本屋などをぶらりと行くのが好きな方。
 4. 本を作ったり、売ったり、貸したりするのが好きな方。
 5. ただただ本を眺めているのが好きな方。

のように、「本にまつわる何か」が好きであればいいのだそうです。
おお、何か当てはまるぞ!!入会したいぞ!!という人に、ちゃんと入会条件が。

 1. 自分が「本楽家」であることを認めること。
 2. 「本の楽しみ」をテーマに記事を書くこと。
 3. その記事をこのまえがき記事にトラックバックすること。


うーん、なるほど。親切なぐらい優しい入会方法です。
で、今回僕も入会申し込みに~。
どうしていままで気付かなかったかというと・・・・すいません、普通に気付いてませんでした。
会員募集が書かれた頃には、ちょうどごたごたと忙しかったんですよ…………言い訳ですね、はい。

という事で、

 1. 自分が「本楽家」であることを認めること。

 はい、認めます。多分大丈夫だと・・・。

 2. 「本の楽しみ」をテーマに記事を書くこと。

長い前置きになりましたが、ここからが本題で。
まずは自分と読書の歴史から・・・。

我が家は両親が大の読書家で、昔から家中に本が溢れてました。だから、僕にとっては本がある風景、本を読む風景が日常の中で当たり前でした。
さらに小学校4年生の時に、病気で1年近く入院生活を送りました。
病院には同じくらいの友達がたくさんいますが、1年も入院すると入れかわりが激しいもんです。
どんなに友情を気付いても、相手はいつの間にかいなくなってしまうんです。
そんな中、いつまでも変わらず最大の友達でいてくれたのは、子供向けに書かれた江戸川乱歩の小説。
病院の外に殆ど出れない生活を送っていた僕にとって、乱歩の小説は空想を沸き立てて、読んでる瞬間は自由に外を歩く事が出来ました。

そこで培われた(?)読書癖は、退院後もやむ事なく、むしろどんどんひどくなっていきました。
子供向けの推理小説から、父親の本棚にあった大人向きの推理小説へ読むものが変わって読書量は変わりません。
中学高校と6年間図書委員を務め、朝3冊かりて授業中に読み終わり、夕方3冊借りなおして、翌朝3冊借りてかえるという生活がほぼ毎日続きました。

もうこなると、本を読むのを止めろといわれても無理な話で、年間約500冊ペースで読み続けて、大学も国文学科に進学。現代文学を専攻、無事論文(題名:福永武彦論~『草の花』における福永の作品的主題~)を書き上げなんとか卒業、今に至ります。

ちなみに読書をするという事に、もっとも影響を与えた作家も

江戸川乱歩  
福永武彦    

のお二。
乱歩は入院生活で退屈していた僕に読書の楽しみを教えてくれて、福永は推理小説一辺倒だった僕に純文学の楽しみを教えてくれました。
ちなみに福永武彦をご存知ない方も多い思いますので軽く。
代表作は『草の花』『死の島』(『草の花』は新潮文庫の100冊に入ったり入らなかったり)。加田伶太郎の名義でミステリーを、また映画『モスラ』の共同執筆者の一人でもあります。

この二人の言葉、

「うつし世は夢 夜の夢こそまこと」(乱歩)
「人は人を愛すれば愛すれほど孤独になり、孤独になればなるほど人を愛す」(福永)

は、僕の映画・演劇生活、そして人生に大きな影響を与えてくれました。
この言葉に出会っただけでも、読書をして良かったと言えるし、それ以降も、節目節目にいろんな本に出会い、癒され、叱られ、励まされたからこそ、今ここに至っているんだと思います。


で結局僕にとっての本を楽しむという事はどういうことか?

結論 : 空気と同じ!!生活に最も必要なモノ!!


高校から大学、社会人に至るまで読書の他に、映画・演劇といろいろな分野を楽しんできましたが、結局どれを一番捨てられないかというと、やっぱり読書になるんだろうと。読書で養われた想像力、漫画で鍛えられた構成力・・・・読書で得られたものどれひとつが欠けても、もしかしたら今の自分はいない。
最近はかなり偏った読書歴ですが、そこに本がある限り、読書をやめる事は出来ないでしょう。