『麒麟児』(☆3.9) 著者:冲方丁

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 慶応四年三月。鳥羽・伏見の戦いに勝利した官軍は、徳川慶喜追討令を受け、江戸に迫りつつあった。軍事取扱の勝海舟は、五万の大軍を率いる西郷隆盛との和議交渉に挑むための決死の策を練っていた。江戸の町を業火で包み、焼き尽くす「焦土戦術」を切り札として。
和議交渉を実現するため、勝は西郷への手紙を山岡鉄太郎と益満休之助に託す。二人は敵中を突破し西郷に面会し、非戦の条件を持ち帰った。だが徳川方の結論は、降伏条件を「何一つ受け入れない」というものだった。
 三月十四日、運命の日、死を覚悟して西郷と対峙する勝。命がけの「秘策」は発動するのか――。
幕末最大の転換点、「江戸無血開城」。命を賭して成し遂げた二人の“麒麟児”の覚悟と決断を描く、著者渾身の歴史長編。

Amazonより

 勝海舟西郷隆盛。日本史を勉強して無くても名前を聞いたことがある人がほとんどの有名人。 でも、大河ドラマの主役になった西郷さんに比べると、勝海舟って何をした人?坂本龍馬とかの物語に出てくるけどよくわかんないっす・・・。あ、勝海舟大河ドラマの主役になっているね。

 この小説は知名度と歴史上の功績が乖離していると思われる勝海舟の視点で、幕末の一大転換点「江戸無血開城」の一幕を描くという、素晴らしくピンポイント。単純に考えるとほんとにそれだけで小説として盛り上がるのかという短い期間の物語。

 幕府方である勝は幕府を護るという視点を超えて、日本国の国民のためという思想を持って行動する。とはいえ、幕臣でもあり主君である将軍徳川慶喜を護るという立場もあり、その中で四苦八苦。何しろ勝の考えを理解するものは幕臣には殆どいないからだ。

 その勝にとって、自らの思想であり価値観を共有できる人物が、幕府を倒そうとする官軍の実質上の総大将・西郷隆盛だ。勝の視点から描かれる西郷はどこまでも底の無い器の持ち主であり、弱く叩けば弱く響き、強く叩けば強く響く、まことの言葉を持って語るべき人物として描かれている。

 物語は常に勝の視点で描かれているので、小説を通して西郷がほんとうに何を考えていたのかが語られることはないが、響く器を持つことによって勝を通して西郷の思想を感じることができる。言葉で語るべきところは語らい、そして言葉を必要としなくてもその心を汲み取っていく。ある意味究極のコミュニケーションだ。

 幕末の歴史の中において、作中で語られる通り勝も西郷も決して主君(上司)に恵まれた訳ではない。様々な方策により幕府を、そして日本を救おうとする勝の提言はその思想の深淵を理解できない主君達によって潰されていく。ある意味、「江戸無血開城」までの勝は何もなし得なかった男といえるかもしれない。
 また西郷も、敬愛した主君・島津斉彬を失いその後を継いだ島津久光から疎まれる。それは官軍を率いることになっても変わらない。また明治維新後政争に巻き込まれ下野、最後には自らが新しい時代の波に飲み込まれ西南戦争により命を落とす。西郷にとって真の力を発揮できたのは一瞬だったのかもしれない。

 歴史の波に翻弄された二人が、この一瞬すべてのしがらみから開放され、語るべき、心を通じあう相手として歴史の転換点に挑む。お互い討つ側と守ろうとする側と立場は違えども、その瞬間二人は江戸、そして日本国民を守るべき為に戦う同志であったと思う。時にはユーモアにくるみながら無理筋な頼みを申し出る勝も、その無理筋な頼みが民を守るために必要なものであれば、その力を存分に働き通す事ができる西郷の存在があったからこそ語れたと思う。この二人が同じ時代に相反する立場でいなければ、今の時代があったのか。

 江戸無血開城という大事を成し遂げたあと、勝も西郷も歴史の本流から消えていく。それでもない偉大な、そして愛すべき人物として語り継がれるのは、その一瞬にすべてをかけて対峙できる胆力を持っていたからと思う。

 平成も終わりの今、このような胆力とそして語るべき言葉、私心を超えて国を民を考えることができる人物は登場するのだろうか・・・。


 
採点  ☆3.9