『検察側の罪人』(☆3.5) 著者;雫井脩介

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 東京地検のベテラン検事・最上毅と同じ刑事部に、教官時代の教え子、沖野啓一郎が配属されてきた。ある日、大田区で老夫婦刺殺事件が起きる。
 捜査に立ち会った最上は、一人の容疑者の名前に気づいた。すでに時効となった殺人事件の重要参考人と当時目されていた人物だった。男が今回の事件の犯人であるならば、最上は今度こそ法の裁きを受けさせると決意するが、沖野が捜査に疑問を持ちはじめる―。


Amazonより

 かつて時効となった殺人事件の容疑者の男と、時を経て再び検事と殺人事件の容疑者として対面することになったベテラン検事・最上。過去の犯罪を清算させる為、後輩の検事・沖野を巻き込んで、違法スレスレの取り調べを行う。

 18年に最上:木村拓哉、沖野:二宮和也で映画化が決定しているこの作品。検事と容疑者という関係を通して、正義を貫く為の矜持の中で揺れ動く二人の検事の葛藤が主題。本編も二人の視点が交互に描かれています。

 実際この小説の中における取り調べ場面、尊敬する先輩検事の見立てを証明するために、後輩検事・沖野が容疑者である松倉取り調べる場面がエグい。物証が圧倒的に足りない中で、精神的に松倉を追い込む為に人格否定の罵詈雑言を連発。勝手なイメージでこういうのって刑事の取り調べであるかもって思ってましたが、検察の調書取りでもホントにあるのかなぁ。でもあまりに過激すぎてクレームが来るのがリアルっぽいです^^;;なるほど、こうやって冤罪っておきるのかなと、、、。

 それにしても、容疑が濃厚でも証拠がない為捕まらなかった男をの罪を償わせるために、別の事件と併せて償わせる。うーん、気持ちは分からないでもないですけど、そのために意図的に冤罪をしようとする展開に説得力を感じるかどうかでまず評価、というよりも好き嫌いが分かれるかなぁと。

 普通に考えたら、たとえ過去に罪を犯していようとも無実の罪を被るのはおかしいし、じゃあ冤罪事件の犯人は罰せられないのかよ、と思うわけですが、その部分についてはちゃんと押さえてます。押さえてるからこそ、最上の行動が正義と倫理の狭間で動いてるのが感じられるわけで。

 ただ、そのために最上さんそこまでしちゃうのかというのはどうしてもあります。そのきっかけとして学生時代の友人である丹野の死があるわけですが、清廉潔白だった丹野が自分自身の信じるところを貫くために取った行動を通して、真実を暴く法の番人から正義の番人に最上が変わっていきます。そこの部分の説得力がもう少しあれば・・例えば過去の事件の被害者と最上の関係がもう少し深く描かれていれば・・というのは正直感じました。
 
 最上の信じる正義とは一体何なのか。クライマックスの最上と沖野の会話で垣間見える最上の矜持。すべてを自覚した上で法の道を踏み外した彼の姿、そしてすべてが終わったのち、沖野と対面したときの松倉の行動のやるせなさ。

 本来検事は罪を裁く立場でなく罪を暴く立場だと思います。どんなに重罪を犯した人物でもそれを裁くのは裁判官だと思うわけで、だからこその法治国家だと思います。そういう考えからすれば、物語のやや強引な点も含めて作り物めいて締まってる所もあるのでしょう。

 ただ、本来裁く権利の無い人物が正義の名の下に人を罰するという行為が現実離れしているか。ネット社会の中で、実際の犯罪事件が起きたとき、容疑者や日替者のプロフィールが簡単に暴かれる事も多いです。本来はそれを公開する権利がない人たちが、正義の名の下に公開し、正義の名の下に裁き罰しようとする時代。
 最上の起こした行動は、案外嘘くさいという言葉では片付けられない問題なのかもしれません。

 最後に映画版。おそらく劇場に見に行こうと思うのですが、予告編を見る限り二宮くんの沖野はともかく、キムタクの最上が不安。いや芝居がどうとか何をやってもキムタクっていう訳ではなく、彼が演じてしまうことによりある種のヒロイズムが出てしまうんじゃんないか、と心配。原作はそんな軽いものんじゃないので、どうなるか・・・。


採点  ☆3.6