『悪女』(☆3.5) 著者:マルク・パストル

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20世紀初頭のバルセロナ。町では幼い子供が何人も失踪していた。噂ではその血をすすり臓物を喰らう化け物に攫われたのだという。そして今日また一人、新たな子供が姿を消し、頸動脈を噛みちぎられた男の死体まで発見された。その化け物の名はエンリケタ。「私」という全知の存在が、「吸血鬼」と呼ばれた稀代の悪女の恐ろしさとおぞましさを語り尽くす。現役の犯罪捜査官が、町中を震撼させた犯罪者の実話に材を得て描いた戦慄の物語。


Amazonより

 20世紀の初頭、実際に存在した「バルセロナの吸血鬼」エンリケタ(作中でも同名)をモデルにした小説。
 実際に読んでみると、どのジャンルの小説家と言うと難しい。ミステリというには実際の事件をモチーフにしているため意外性が特段あるわけでない。かといって犯罪小説というには、登場人物達の視点が必ずしも犯罪そのものに集約されている訳でもない。むしろ小説のオリジナルキャラクターであるコルボ警部のアウトローっぷりはハードボイルド小説の匂いを漂わせる。

 ある意味ジャンル分け不能なこの小説に、独特の語りがさらに拍車を掛ける。
 この物語の語りの特徴は、一見三人称のように見えながら、実は「全知」という一種の神的(神は神でも死神のようだが)存在の語りであるという事だ。
 この全知という存在がやっかいなのは、三人称でいうところの地の文、読み手にとって偽りのない神の視点(何しろ登場人物すら気付いていない深層心理を語る場面すらある)の形をとりながら、嘘をつける、あるいは語らない事を許される事である。

 ただでさえ錯綜する複数の視点が読み手を幻惑させるのに、語り手の真実性の確信的揺らぎが物語の立ち位置をさらにあやふやにさせるところは、幻想小説と言えるのかもしれない。
ああ、また堂々巡り、、。

 面白いと思うのは、本来物語の指針に成りうるはずの実在の吸血鬼エンリケタが、小説の中で主体となってていないところである。
 確かに作中におけるその存在は他の登場人物を惹き付けてやまない畏怖すべき存在として描かれている。しかし、登場人物達と同じ感覚を読み手が覚えるかというと、必ずしもそうは言い切れないように思う。エンリケタに惹かれるのと同じくらい、読み手は「全知」やコルボ警部、あるいは小物としてのクチ黒達の存在の方に物語として惹かれるのではないだろうか。

 エンリケタやコルボ警部はアウトローの魅力をもつ反面、人間としての弱さをさらけ出す瞬間がある。小物、あるいは弱者として描かれるクチ黒もまた、圧倒的な悪に惹かれつつ、その中で自分の強さを求めて藻掻いている。他の登場人物たちもまた人間としての弱さ、それを隠そうと足掻く人間臭さを持っている。それは死神的傍観者である「全知」にしても同様である。それぞれが持っている人間臭さこそがこの小説の魅力なのではないだろうか。

 そしてのその人間臭さを受け止める、ある意味裏の主役といえるのが作品の舞台となる20世紀初頭のバルセロナの街だろう。作中で何度も描写されるバルセロナの街は、貧困と金満、猥雑と清貧、権力と汚職、様々な空気が複雑に織りなす猥雑さに溢れている。エンリケタもコルボも、ある意味あらゆるカオスの集合体のような街の空気が必然的に生み出した存在なのかもしれない。

 物語の場面転換も時には時間軸さえも曖昧模糊としたストーリー展開は、もしかしたら読者を選ぶかもしれない。ただそれでも終盤のセリフ「最後までやり抜いて、愛する人たちに深い足跡を残したと思いながら目を閉じる人ばかりじゃないんだから。降参せずに闘って、堂々と頭を上げて死んでいくこと、それが人生なのよ」は心に残るのではないだろうか。
 

採点  ☆3.5