『動く標的』(☆3.5) 著者:ロス・マクドナルド

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石油王が失踪した。失踪か? 誘拐か? 夫人の依頼により調査を開始した私立探偵リュー・アーチャー。夫人とは犬猿の仲である義理の娘、彼女が愛する一家専属のバイロット、娘との結婚を望む弁護士といった面々が複雑に絡み合うなか、次々に殺人事件が……。クールな探偵リュー・アーチャーが初登場した、正統派ハードボイルド作家ロス・マクドナルドの傑作を、これ以上望むべくもないベテラン訳者による新訳で贈る。

Amazonより

 海外小説を比較的苦手にしてきた自分の中で、ハードボイルド小説となるとさらに敷居が高い。このジャンルについては国内小説でもあまり読んでないからだ。なぜ読んでないかというと、うーむ、特に思い当たる理由はないのだけれど、強いて言うなら自分のミステリ履歴が明智小五郎金田一耕助から始まり綾辻行人で爆発したということで、通俗、あるいは本格系を好む嗜好になってるからかもしれない。

 そこでロス・マクである。いうまでもなく、ハードボイルドのジャンルでいえば、ハメット、チャンドラーと並ぶ巨匠。といいつつ、自分はどちらも読んでないので評価のしようがない。その中ではロス・マクは本格寄りという勝手なイメージ、さらには敬愛する法月綸太郎の代表作の一つ『頼子のために』について、ロス・マクの小説をイメージしたと語っており、いつかは読みたい(もちろん他の人もだけど)と思っていた。

 ロス・マクを読むならば評判の高い「さむけ」「ウィチャリー家の女」あたりから読むというのも手だと思うのだけれども、彼の産み出した探偵リュウ・アーチャー初登場作品が新訳になったという事で挑戦してみる事にしました。

 読むに当たっては、なにしろハードボイルド小説慣れしていないため、ハードボイルド一人称独特の語り口が生み出すリズムに正直戸惑った。それでも翻訳の上手さか、それとも作品が盛っている味わいのためなのか、物語が進むにつれまったく気にならなくなった。敢えて言うならば、その一人称ゆえに唐突に名前が登場する、しかも登場人物一覧に名前がでてない人物について、あれあなたは誰だっけということがしばしば。ただ、これはもうこの小説が、というより自分の海外小説への経験値の少なさかもしれませんが。

 大まなか流れとしては、飛行場で突然姿を警視た資産家の行方を突き止めるというのが表のストーリー。その中で、事件を通して当時のアメリカの家族や社会を炙り出すというのが裏の軸と言えるのでしょうか。自分は今回がロス・マク初読なのであれだが、家族というのはこのシリーズを語るうえで一つの重要なキーワードらしい。そういった意味でもアーチャー初登場の作品からすでに意識されたものなのだろうと思います。

 物語の中で流れる時間はかなり短いです。ある種のタイムリミット的な要素もあるので当然といえば当然ですが、せいぜい3〜4日ぐらいの物語ではないでしょうか。その短い時間の中で物語は二転三転、そしてアーチャーも何度も襲われこれでもかというぐらい気絶。依頼の為にときにははったりを噛ませ相手を揺さぶる為に懐に飛び込むので、時にはあわやという場面もあります。
 アーチャーはけっしてスーパーマン的な探偵ではない(というよりもそういうタイプの探偵はハードボイルドに向かないと思いますが)、時にはヘマをしながらも事件の真相に近づいて行く姿は生身の人間として共感します。
 
 逆に、事件の関係者はどの面子を見ても一筋縄ではいかなそうな人間ばかり。下半身不随の後妻、死んだ兄の代わりになれずに葛藤する妹、そんな娘に恋心をみせる中年の男、過去の栄光に引きずられる女優などなど。どの人物にも欠点があり、必ずしも共感というわけにはいかないですが、それもまたそれぞれの魅力というか生命感というか、人は欠点を持たずに生きることはできないそんな生命感を感じさせます。

 事件に巻き込まれるサンプソン一家は、戦争の影響が残るアメリカ社会において成功者の一人であり、同時に成功しなかったものから妬まれる存在。黒澤明の映画『天国と地獄』(原作:キングの身代金)がそうであったように、成功者である上流階級に属する人間と、憧れてもそこに入ることの出来ない中流階級の人間の対比が登場人物の関係性に投影されていると思います。事件を解決するためには綺麗事だけでは上手くいかない。作中はっきりと描かれている訳ではないですが、サンプソンの成功劇もまた綺麗事だけではないだろうし、探偵と事件の対比は、個人と社会の関係と表裏一体として描かれているし、そこがハードボイルド小説の魅力なのかもしれません。

 物語が二転三転しながらも真相が明らかになるにつれて、犯人の思惑が複雑に絡み合っているように見えた事件は、もう一つの姿を現してきます。一見一つの事件にしか見えなかったものが、その裏側で様々な事が起きていることに気づかされます。
 正直、伏線こそ張り巡らされてますが、ややとっ散らかっている所もあり、終盤の怒濤の展開を活かしきれてないのではというのを感じる所はありましたが、その点を差し引いても事件を通して家族と社会の姿を投影しながら、ミステリ小説として見せるべきところをきちんと押さえていて、今後のシリーズの方向性はこのシリーズ第1作からおそらく変わってないだろうという事が伝わってきます。

 劇中の、ときに無謀すぎるアーチャーの姿は作家としてのロス・マクが投影されているのかもしれません。これ以降、アーチャーとロス・マクがどういう風に変化していくのか、これ以降のシリーズも挑戦していきたいと思わせてくれました。
 

採点  ☆3.5