『三度目の殺人』 監督:是枝裕和


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あらすじ

第66回カンヌ国際映画祭審査員賞受賞作『そして父になる』の福山雅治是枝裕和監督が再び組んだ法廷サスペンス。死刑が確実視されている殺人犯の弁護を引き受けた弁護士が、犯人と交流するうちに動機に疑念を抱くようになり、真実を知ろうとするさまを描く。弁護士や検事への取材に加え、作品の設定通りに実施した模擬裁判で出てきたリアルな反応や言動などを脚本に反映。福山ふんする主人公が弁護を担当する殺人犯を、役所広司が演じる。


 是枝裕和監督、福山雅治役所広司で法廷物。うん、これだけでなんだか濃い物が見れそうだという予感。

 冒頭の場面で殺人、死体への放火をする役所広司演じる三隅。炎を見つめるその顔はどこか狂気を漂わせる。
 この映画、とにかく役者の表情が印象に残る。被告人であり、死刑回避を望みながら供述を二転三転させ、弁護人達を戸惑わせる三隅。その表情は常にナチュラルであり、ただ感情の赴くままに喋っているように見える。

 かつて別の事件で三隅を裁いた元裁判官(弁護人重盛の父)は、三隅を「獣みたいな人間」と言い、逮捕した刑事は感情の無い「空っぽの器」のようだ、という。持ち手によって、あるいは中を満たすものによって役割を変える「器」。三隅を演じる役所さんは、対峙する相手によってその感情を受け、相手が心で望む自分のイメージを表現しているように見える。それゆえに自らの中身を突きつけられたように、対峙する側は苛立つのかもしれない。

 一方、そんな三隅に対峙するもう一人の主人公、福山雅治演じる弁護士・重盛は中に注ぐもの、あるいは満たすものから器を選ぶタイプに見える。常にその器の中には自分が選んだものが入っている状態だ。弁護する相手に必要以上に感情移入せず、検察側から「「あなたのような弁護士が、被告人から事件と向き合う機会を奪う」と罵られても一向に動じない。彼の器は常に満たされているから。

 そんな重盛は、三隅の二転三転する供述の前に徐々に自分の器の中を満たしていたものに対して疑問を抱いていく。自分の中を満たしている物がもし自分が選んだものでなければ、入れ物としての器(自分)の存在も否定してしまう事になる。
 罪を犯したと思われる人間と対峙することによってアイデンティティが侵食されていく光景は、黒沢清監督の「CURE」を彷彿させる。今回被告人役である役所広司が演じた刑事もまた、萩原聖人演じる謎の若者によって此岸と彼岸の境界線が揺らいでいった。今回の映画の重盛もまた、三隅の証言だけでなく、自己の感情に振り回され、自らの弁護士としての矜持と向き合う事になる。映画の中では二人が対峙する場面で、その表情が頻繁にオーバーラップされる。気のせいか、最初は対極にいた二人が終盤に近づく程にその表情が重なって見えてくる。作為的なオーバーラップにならないよう工夫されたカメラワークの効果もあり、観客を心理的に圧迫する。

 またこの二人と並んで映画の重要な登場人物として描かれているのが、三隅に殺された被害者の娘である女子高生、広瀬すず演じる咲江だ。初めてスクリーンに登場した時から足を引きずる姿が印象に残る。内面にどんな複雑な感情をもっていても、表面上は元気で明るいキャラクター、最近の広瀬すずはそんな役が多いが、この映画ではその弾ける感情表現だけでなく、その肉体も自由を奪われている。メイクも変えているからか、出演していると知ってなければ、一瞬彼女とは分からないかもしれない。

 死体としてしか描かれない父親、夫を殺された悲しみの感情よりも自分を守ることに汲々とする斉藤由貴演じる母親(彼女の表情や仕草も素晴らしい)。夫の死後、母親が、足の不自由な咲江に、髪の匂いを嗅ぎながら「私の事を守ってくれるのは、もうあなたしかいない」と言うシークエンスは、それだけで咲江を取り巻く家族関係を観客に喚起させる。ここで直接的な事を描かず、観客に想像させる事もまた、この映画の重要な手法だと思う

 咲江は、裁判の展開に大きく関与するであろう秘密を抱えている。それは、裁判の行方のみならず、彼女が今持っている環境すら大きく変えてしまうであろう事は観客にも用意に想像できる。そんな彼女に対してほんとに証言する勇気があるのか、と問い詰める重盛の姿は、自己の器が壊れそうになっているのを必至に食い止めようとしているようにも見えるし、あるいは同世代の娘を持つ父親としての感情にも見える。

 関係者達の様々な思惑、あるいは感情が入り乱れる裁判は、その在り方すらも問題提起を突きつけられている。

「一体何を裁いているのか」

 三隅を中心とする真偽の是非が危うい証言が事件の真相を二転三転させ、真実を奥底に沈めていくような展開は、黒澤明監督の「羅生門」を彷彿とさせる。あの映画もまた「お白州物」であり時代劇に置ける法廷劇だった。時には死者の霊魂を呼び寄せ証言させる姿は、一体誰のための証言なのかすら危うい場面でもある。

 この映画でもまた、誰の言葉が本当か観客にも登場人物達にも判断ができない中で、裁判官は裁判官、検察官は検察官、弁護人は弁護人、証言者は証言者の中で事件を物語り裁いていく。判決後の裁判所で、三隅が重盛にかけた言葉は本当に真実の言葉だったのか。   
 裁判のあと、拘置所の面会室で向き合う姿は同じ黒澤明の「天国と地獄」のラストシーンを彷彿させる。しかし「天国と地獄」での山崎努演じる犯人の叫びは、魂を持っていたが、三隅と重盛の会話は何が真実かが漠然としている(三隅が一番真相を知っているのだろうが、それでもすべてでは無い可能性も否定できない)この映画を象徴するシーンである。

 面白いかどうか、あるいは誰もが楽しめるか、というと決して軽い映画ではないのでそうそうオススメできそうにはないけれど、見終わったあとに誰かと語りたくなる、そんな映画だと思う。




『三度目の殺人』予告編 9月9日(土)公開