『あひる』(☆4.0)  著者:今村夏子

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読み始めると心がざわつく。
何気ない日常の、ふわりとした安堵感にふとさしこむ影。
淡々と描かれる暮らしのなか、綻びや継ぎ目が露わになる。

あひるを飼うことになった家族と学校帰りに集まってくる子供たち。一瞬幸せな日常の危うさが描かれた「あひる」。おばあちゃんと孫たち、近所の兄妹とのふれあいを通して、揺れ動く子供たちの心の在り様を、あたたかくそして鋭く描く「おばあちゃんの家」「森の兄妹」の3編を収録。

Amazonより

 献本に当選し手にとることになったこの作品。「こちらあみ子」のタイトルは聞いたことがありましたが、作者の名前は知りませんでした。

 読みながら、そして読み終わって残る、なんとも心をざわさわさせるモノ。短編が3編収録されている。どの作品も大きな物語もなく、ただ淡々と一見平凡な日常を送る家族を切り取っているようにみえる。けれども、読後思い返してみると、何か変だ。明確に変だというのがあるわけではないのに、どこか収まりの悪さを感じる。

 読みようによっては終わりの向こうにホラーを感じるかもしれないし、あるいは静かな崩壊の予兆を見るかもしれない。ただいえるのは、恐らく読み終わった多くの読者が、物語の先に良い物語を感じ取れないだろうという事。
 そこにある風景がドラマの無い平凡な日常なだけに、読書中に感じるどこかアンバランスな匂いが自分を取り巻く環境といつのまにか混じってしまっている。それがこの短編集の凄みなのだろうか。


『あひる』

 引っ越しの都合であひるを飼えなくなった知人から、あひるを預かる事になった一家。その顛末を娘の視点から描く。
 「のりたま」というあひるを飼いはじめてから、語り手の家にはあひる見たさに近所の子供たちが訪れるようになる。何の仕事をしているかは語られない父と母。そして2度医療系の受験に失敗し3度目を目指している娘。平凡に見えるが、どこか生活感が希薄な一家は、子どもたちが訪れる事により、会話が増えていく。
 
「のりたま」が来るまでの夫婦の会話が、母が父に言う宗教関係のことしか無かったとさらっと語られる。このあたりで読み手はおやっと思い出す。のりたまが体調を崩すと、家族三人はそれぞれの方法で、お祈りをする。動物病院に連れていくという選択肢の前に、祈りという行為が優先される。


さらには体調を崩して動物病院に運ばれた「のりたま」が退院すると、入院前と違うあひるのように見える。いったい入院前の「のりたま」はどうなったのか。しかしその部分にはほとんど触れられること無く、それまでと同じような日常がまた続いていく。

 途中、二階の窓から顔を覗かせた語り手が子供たちに極端に驚かれたり、家にあそびに来るようになった子供たちの誕生日会の顛末が語られるにつれて、この一家の闇みたいなものが滲み出てくる。この一家は近所でも特殊な存在であり、受験浪人といっている語り手は、引きこもり状態なのではないか。さらに、家庭を持ち家を出ていた弟が久しぶりに実家に戻り、両親や姉に説教をする場面でも、どこかズレた力関係が伺える。
 繰り返される「のりたま」の入れ替わり(もしかしたらそこには、以前飼っていた鶏のエピソードも入るかもしれない)と近所の近所の子供、そして孫。語り手の両親が見せる、深すぎる優しさと、何事もなかったかのように想い出を切り捨てるクールさが、最後まで読み手の感情移入を許さない彼岸の世界を創り出しているような気がしてならない。


『おばあちゃんの家』

 語り手であるみのり一家の家と隣合わせに住むみのりの。物語は一家の娘と老女(ひいばあちゃん)との交流が中心になっている。
 実はこの一家と曾祖母は血が繋がってない。別棟に住んでいるので、食事を持っていくのがみのりの役目である。この曾祖母の住む家には以前は風呂がなかったが、最近増設し、その時に部屋にも窓を一つ作っている。それまで曾祖母の住む部屋には窓が無く、電気をつけないと顔がよく見えない、とさらっと語られるのだが、よく考えると中々なシュチュエーションだ。みのりの弟は曾祖母の家が臭いので行きたくないというが、曾祖母が住んでいる環境は、一般的なものとズレている事が伝わってくる。

 中盤、認知症と思われる独語を目撃されるようになる曾祖母。見えないものと会話する曾祖母にあえて触れない家族。夕食は曾祖母の家では食べてはいけないと禁止されているみのり。
 終盤、みのりは親に内緒で夏祭りに出掛ける途中迷子になり、偶然見つけた公衆電話から家に電話を掛け、電話に出た曾祖母が迎えに来て、無事に家に戻れる。普通であれば心暖まるエピソードになるのだけれども、そこは一筋縄ではいかない。この一件を聞いた母親の、娘を叱るのでもなく、曾祖母に感謝するでもないある反応が曾祖母と他の家族とのどこか歪な関係を予想させてしまう。淡々と物語を終わらせているにも関わらず、読者の頭のなかには黒いシミが広がっていくようだ。



 家の近くの山で過ごしていたモリオとモリコの兄妹は偶然小屋に住む老婆と出会う。小屋の敷地内にあったビワを取った事を許してくれた老婆は、それかれもモリオが訪れるたびにお菓子をくれるようになる。

 明確に書かれてはいないが、ここで登場する老婆は『おばあちゃんの家』の曾祖母ではないかと思われる。『おばあちゃんの家』で垣間見えた曾祖母の置かれた状況と、この短編に登場する老婆の環境を併せてみると、老婆の生活の異様さが見えてくる。これがもし『おばあちゃんの家』のラストの時間軸よりあとの物語だったとしたら、と思うとなお薄ら寒いものを感じる。

 老婆はモリオが来るたびに声を掛けてくれるが、その会話の内容もまた正常なようで、どこかピントがズレている。老婆は建物から出てくることはない。モリオやモリコとのコミュニケーションは網戸越しだ。網戸におでこがめりこんでいる、その表現もまた単なる情景描写であると共に、老婆の心の闇を表しているようにも感じる。
 物語のラストで、モリオと老婆は別れを迎えるが、前の2編同様その別れには感傷の要素が殆ど無い。まるでその出会いが無かったかのように日常は進んでいく。


 収録作はそれぞれに人の結びつきの物語であり、エピソード位置場面を切り取ると何処かほんわかしていながら、その情景を客観的に流れてみると、結びつきの強さよりも脆さが見えてくる。緩やかな出会いと別れ、人の日常というのはかくも単調で残酷なものなのか。


採点  ☆4.0