映画『湯を沸かすほどの熱い愛』 監督:中野量太

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 今年のキネマ旬報ベストテン第7位。東京とかでは10月公開だったみたいですが、広島でもやっと公開。今の時代、新人監督がオリジナル脚本で映画を作るなんて難しいと思うのにすごいなぁ。



あらすじ

銭湯・幸の湯を営む幸野家だったが、1年前、父・一浩(オダギリ ジョー)がふらっと出奔してから休業していた。母・双葉(宮沢りえ)は持ち前の明るさと強さで、パートをしながら娘・安澄(杉咲花)を育てている。ある日、双葉は余命わずかという宣告を受ける。それから双葉は、“絶対にやっておくべきこと”を決め、実行していく。それは、家出した夫を連れ帰り家業の銭湯を再開させる、気が優しすぎる娘を独り立ちさせる、娘をある人に会わせる、というものだった。双葉の行動によって、家族の秘密はなくなり、彼らはぶつかり合いながらもより強い絆で結びついていく。そして家族は、究極の愛を込めて母・双葉を送ることを決意する。



 映画の冒頭、煙の登らない煙突から始まり、母と娘の朝のシーンへ。朝食の場面でのちょっとした親子の言い合い、不機嫌そうに出掛ける娘だが、母親の言葉に思わず笑顔がこぼれる。ほんのちょっとした場面だけれども、これだけでこの二人の関係が観客に伝わってくる。たぶん、夫(父親)がいきなりいなくなって大変だったんだろうけど、なんとなく笑顔で乗り切ったんだろうなと思わせる。

 そこから娘は学校でのイジメ、母は突然のガン告知。なんだかんだと温かそうな家族に突然訪れる試練。本来ならそれぞれに悩み苦しむ姿が描かれると思うし、どうしても余命物の映画はお涙頂戴系(決して悪いことではないですが)になると思う。実際にこの映画でも僕も泣いたし、映画館中からすすり泣きが聞こえてきた。ただその涙は悲しさに対しての涙だけでなく、限りない愛に溢れた生きるという事の強さに心が揺さぶられていたからでもあると思う。
 命の期限を告げられた母親だけでなく、娘達も、そして父親も、登場人物の殆どは心に何かの痛みを持っている。でもそれを隠すのではなく向き合って乗り越えることの大切さをお母ちゃんが教えてくれる。そして娘なりに父親もまた乗り越えていこうとする、お母ちゃんを安心させる為に。

 強さと、そして底知れぬ愛を見せる母親役の宮沢りえが素晴らしい。強さ、優しさ、そして弱さ。ちょっとした気持ちの揺れ動きを、時には熱く、時には軽やかに説得力を持ってスクリーンに存在していた。僕世代としては、やっぱり『ぼくらの七日間戦争』の超絶かわいい姿や、伝説の写真集『サンタフェ』の衝撃(笑)なのだけれども(俺だけ?)、ほんとにお母さんというより、お母ちゃんが似合う年になったんだなぁ、と改めて実感。

 そんな母親の愛を受け止める娘・安澄役の杉咲花も凄かった。冒頭のイジメを受ける弱い自分、それを過激すぎる方法で克服する中で感じる自分の中に流れるお母ちゃんの血。中盤以降にはもう一つの試練にぶつかってしまう難しい役。その都度その都度お母ちゃんとの距離感が変わってくる。その距離感の作り方が的確で、役柄を超えてもう本当の親子に見えちゃいます。

 その他にももう一人の娘となる鮎子を演じた伊東蒼のこしゃっまくれた感じの中に見える子供っぽさもよかったし、今の時代明らかにゲス野郎と呼ばれてしまいそうなダメ親父なのにどこか許せてしまいそうなオーラを漂わせるオダギリジョーも含めて他の役者陣の演技も熱い。

 そしてそんな役者陣の熱演を引き出した中野量太監督の手腕も凄い。ちょっとしたエピソードの散りばめ方と、それが物語の後半で一気に回収されて、思わず唸ってしまった。  
 これは監督と脚本を兼ねているからこそ出来るバランスなのかもしれないけれど、あそこのシーンにそんな伏線があったんだ、という場面がいくつもあった。中には一歩間違えると過激すぎるシーン、例えばイジメに立ち向かう場面であったり、鮎子を迎えに行った場面での安澄のちょっとした行動であったり、母娘の旅行の場面であったり。その賛否はともかくとして、その行動の底にある母親の情熱、娘の情熱がきちんとあるからこそ、すくなくとも映画の中ではきちんと成立していると思うし、泣けてくるのだと思う。

 そんな熱い母親を見送るために家族が選んだ方法、そこに被さってくるタイトル。ある意味最大の伏線がこのタイトル。一歩間違えると◯◯◯な展開だし、実際にネットのレビューを見てもそういう意見がある。でもいいじゃないか、これはそういう熱い映画なんだから。

 誰もが双葉のように強くは生きられないかもしれない。でも行動できなかったとしても熱い愛情は家族にもちゃんと伝わるんだよ、そんな元気の出る映画だったなぁ。