映画『この世界の片隅に』  監督:片渕須直


『この世界の片隅に』(11/12(土)公開)本予告


あらすじ

18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。
良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉はそのころ日本海軍の一大拠点で、軍港の街として栄え、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。
見知らぬ土地で、海軍勤務の文官・北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。

夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しく、その娘の晴美はおっとりしてかわいらしい。隣保班の知多さん、刈谷さん、堂本さんも個性的だ。
配給物資がだんだん減っていく中でも、すずさんは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日のくらしを積み重ねていく。

ある時、道に迷い遊郭に迷い込んだすずさんは、遊女のリンと出会う。
またある時は、重巡洋艦「青葉」の水兵となった小学校の同級生・水原哲が現れ、すずさんも夫の周作も複雑な想いを抱える。

1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。
そして、昭和20年の夏がやってくる――。



普段あまり劇場で見ないアニメーション、今年は『君の名は』の出来が素晴らしく良かったし、他のを見なくても今年のアニメではベストかなと思っていたのだけれども、ああ、またとんでもなく凄い作品が出てきたよ。。

 今から遡ること10年ばかり、ブログを順調に更新していた頃の2006年、非ミステリの年間ランキング1位に選んだのが漫画『夕凪の街 桜の国』。著者はこうの史代さん。原爆という難しいテーマを独特の視点から登場人物に語らせながらも、決して独創性を突出させるわけでなく、あくまで普遍的な日常の世界から逸脱させないという素晴らしい作品だった。
 そして今回のこの作品である。舞台は『夕凪の街』と同じく戦時中の広島、そして私たいりょうの出身地でもある呉の街。原作のマンガ自体も、『夕凪の街 桜の国』と同じ時期に読んだのだけれでも、強く印象には残ってなかった。ただ、こうのさんの独特の懐かしさを感じさせるタッチで描かれるヒロインの顔だけはなんとなく残っていた。あのタッチと世界観を映画化するなんて、難しいような~と思っていたが、誤解を招くのを恐れずにいうと、スクリーンの中で描かれたのは、こうのさんの原作以上にこうのさんらしい世界だった。
 主人公すずさんが見た白昼夢なのか、それとも創作なのか、よく分からないエピソードから物語は始まる。この短いエピソード一つだけで、なんとなくどこかテンポのゆったりしたすずの性格が伝わってくる。決して過度にアニメっぽくならず、原作のタッチを活かした絵作りが効いている。前半のすずと水原が学生時代の美術の授業中海を見ながら語るくだりなど、その象徴だと思う。

 物語は広島から呉に嫁にいったすずさんは、その日常の中で様々な人達と出会う。どれも決して突出したエピソードではなく、どこか見たことがあるような気にさせる日常の一コマだ。当時、日本は第2次世界大戦の真っ只中、物語の中でも配給が徐々に制限されるなど戦争に纏わるエピソードも挿入されてる。特に呉は当時海軍の重要な拠点だった事もあり、その色は濃いはずだったと思う。
 ただ、この物語はあくまですずを中心とした物語である。当時の一般の人の生活の中で、戦争というのは身近でありながらも、どこか実態を感じる事の出来ない絵空事の物語だったのかもしれない。なんども空襲警報が発令され、防空壕に避難を繰り返すうちに惰性的に行動してしまうようになる登場人物もいたりなどして、このあたりの距離感というか、描き方が実に秀逸だ。

 そんな普遍的な日常を送るすずさんも、呉大空襲、そして広島の原爆投下を経験し、大きく揺さぶられる事になる。その中で、すずさんは大切なものを失っていき、そして笑顔を失っていく。なんのために私は生きているのか。大切な物を失ってもなお生き続けている自分への葛藤が、太平洋戦争集結を告げる玉音放送を効いた時の、すずさんの慟哭となっているんだと思う。すずさんの叫びは動と静の違いはあるけれど、『夕凪の街』のラストでのヒロインのモノローグと共通する、理屈ではない心を揺さぶられる何がある。
 
 決して、特別なドラマがあるわけでもなく、喜劇も悲劇もなにもかも日常の中にある。そこにある日常は、もし同じ時代に生きていたら私のそばにあった日常のそれと限り無く近いものなんだろう。だからこそ映画が終わった時に、理由も分からず涙がこぼれたのかもしれない。

 この映画に力を与えている点でいえば、声の配役や音楽の力も素晴らしかった。なによりも主人公・すずさんの声を演じたのん(元能年玲奈)が最高だ。他の声の演技に比べて決して上手いわけではない。いや、もしかしたら下手な方の部類なのかもしれない。それでも彼女の声の質も、リズムも、息遣いも、すずさんだった。彼女で無かったら、ここまで感動できただろうか、と思わせてしまうほどのはまり役だった。そんなのんの声に被さるコトリンゴの音楽・唄が、またとても柔らかい。『悲しくてやりきれない』なんて、ついつい今でも口ずさんでしまう。

 とても日常的な作品にも関わらず、奇蹟のような出会いが作った奇蹟のような暖かい映画だったし、大切な映画になった。