『君の名は』 監督:新海誠

イメージ 1

あらすじ

1,000年に1度のすい星来訪が、1か月後に迫る日本。山々に囲まれた田舎町に住む女子高生の三葉は、町長である父の選挙運動や、家系の神社の風習などに鬱屈(うっくつ)していた。それゆえに都会への憧れを強く持っていたが、ある日彼女は自分が都会に暮らしている少年になった夢を見る。夢では東京での生活を楽しみながらも、その不思議な感覚に困惑する三葉。一方、東京在住の男子高校生・瀧も自分が田舎町に生活する少女になった夢を見る。やがて、その奇妙な夢を通じて彼らは引き合うようになっていくが……。


キャスト(声の出演)
神木隆之介   立花瀧
上白石萌音   宮水三葉
長澤まさみ   奥寺ミキ
市原悦子    宮水一葉

 人には忘れられない記憶がある。
 人には忘れたくない記憶がある。

 「君の名は」は後者の物語だ。
 田舎に住む女子高生・三葉と東京に住む高校生・瀧。二人の身体と心(あるいは記憶)が入れ替わりながら物語は進んでいく。

 お互いの身体が入れ替わる、こんなシチュエーションはある意味王道のストーリー。ただ、そこで描かれるストーリーの軸は、例えば大林宣彦監督作品「転校生」をはじめとした、ある種のコメディ要素、そして思春期の少年少女としては当然であるけれども、そこに性の問題が絡んでいくパターンが多い。
 「君の名は」でも入れ替わるたびに、三葉の胸を触ってしまう瀧君のシーンが繰り返し登場するし、入れ替わり事によって怪しげな行動を取ってしまった事を示唆させる場面もある。でもそれらのエピソードは物語の中心としては描かれていない。

 では「君の名は」は何が物語の中心なのか?
 正直に言うと、自分の中ではこれと言った答えがないのだけれども、印象に残ったシーンがある。映画の中での学校の授業のシーンで、短歌が取り上げれらた。

 ・誰そ彼と(たそかれと) われをな問ひそ 九月の(ながつきの)
  露に濡れつつ 君待つわれそ

 映画によると「誰そ彼」は「黄昏」の語源らしい。そして古くは「かれたそ時」(彼誰そ)や「かはたれ時」(彼は誰)ということだったらしい。このあと、三葉はノートに書かれた「お前は誰だ!!」という言葉を見つける。

 多くの入れ替わりの物語では、入れ替わった者同士は目の前みたいなものだ。存在、お互いに入れ替わりが周囲にバレないよう、なんとか元に戻ろうとするパターンが多い。けれども、この映画の瀧と三葉はお互いの存在は入れ替わりを通して知っているけれども、会ってお互いを助ける事は出来ない。東京と地方都市という物理的な距離が存在するからだ。
 その距離を埋めるために、二人はスマホの日記機能を使い、入れ替わった間起きた出来事を記録して相手に伝えることにする。現代的なツールを使いながら、あくまでもアナログな手法、いってしまえば現代版交換日記だ。
 ただ交換日記がお互いの報告であるのに対し、主人公たちの交換日記は、報告でありながら肉体は経験しているという、非常に複雑な関係だ。主人公たちは瀧と三葉であり、三葉と瀧でもあり、お互いの顔も名前も知っておりそれぞれの人生を共有しているのに、本当の瀧と三葉として逢うことは出来ない。

 そんな二人の複雑な関係は、ある日突然入れ替わりが途切れてしまった事で終わりを迎える。そして本当の三葉に逢うために街を訪れた瀧は、入れ替わりに隠されたもう一つの秘密が明らかになり、物語は転換点を迎える。それまでは想い出(記憶)を積み重ねていく物語だったのが、ここから物語は失われていく事になる。その象徴となるのが、瀧が三葉の名前を徐々に思い出せなくなっていく場面だ。二人が初めて交わした会話(?)は「お前は誰だ!!」だったが、終わりの始まりもまた名前がきっかけになる。

 この名前や記憶の喪失に関する設定も、SFストーリーの中では比較的よく使われているものである。
 忘れたくない記憶をずっと憶えていることは普通でも難しいことかもしれない。時間が立つに連れて記憶は風化・変質していく事が殆どだろう。ただし、人は記憶の変化・変質の過程を体験している。たとえ記憶が変わっていったとしても、それもまたその人を作っていく歴史だ。
 それに対して主人公たちは強制的に記憶を失い、歴史を失っていく。記憶がそこに存在した事すら思い出せなくなる。そういった意味ではすごく残酷な運命なのかもしれない。かつて大林映画「時をかける少女」で、ヒロインの和子は作られた初恋に翻弄され、そして失ったまま成長していった。
 ただ、主人公たちはお互いの身体を共有することにより、その身体に記憶を残していた。忘れそうになる記憶に戸惑いながらも、相手の果たそうとした思いを胸に全力で疾走するクライマックスの三葉の姿は、生きようとする力に溢れている。
 ラストシーンでの構成は個人的には大林版「時をかける少女」へのオマージュを感じてしまった。「時をかける少女」ではそれは残酷だったが、「君の名は」では失ったものを取り戻すための一瞬のもどかしい儀式だったのかもしれない。

 「君の名は」は決してひねったストーリーがある訳ではない。むしろ繰り返し使われてきた設定を使った王道の物語だと思う。また、二人が入れ替わった理由や、クライマックスで三葉の父がどうしてそういう決断をしたのかなど、十分に描かれていない部分もあり、設定としての甘さもあると思います。それでもなお観客の心に染み渡ってくるのは喪失と回復がだれしもが経験しうる青春のアイデンティティだからかもしれない。

 主人公二人のを演じた神木隆之介上白石萌音の声のハーモニーは、計算された台詞と相まって美しい詩を聴いてるようだったし、長澤まさみが演じた瀧のバイト先の先輩:奥村さんや三葉の祖母・一葉の市原悦子さんの声も物語に重さを与えてくれてたと思う。そして、途中何度も挿入されるRADWIMPSの歌。盛り上げるための挿入歌ではなく、その歌詞の内容も含めて物語の一部としてそこに存在させていたのも演出としてすごく良かったと思う。ただ、RADWIMPSの歌が苦手な人はちょっと厳しい演出なのかもしれませんが・・・

シン・ゴジラ」に「君の名は」。この2本だけでも今年の夏の邦画は大当たりだ。