竹取物語/伊勢物語/堤中納言物語/伊勢物語/更級日記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集03)(☆4.5)

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まずはあらすじ。

「もの」を「かたる」のが文学である。奇譚と冒険と心情、そこに詩的感興が加わって、物語と日記はこの国の文学の基本形となった。 ー 池澤夏樹 ー

 竹取の翁が竹の中からみつけたかぐや姫をめぐって貴公子五人と帝が求婚する、仮名による日本最古の物語、『竹取物語』(森見登美彦訳)。
 在原業平と思われる男を主人公に、恋と友情、別離、人生が和歌を中心に描かれる『伊勢物語』(北川弘美訳)。
 「虫めづる姫君」などユーモアと機知に富む十篇と一つの断章から成る最古の短編小説集、『堤中納言物語』(中島京子訳)。
 「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとしてするなり」、土佐国司の任を終えて京に戻るまでを描く日記体の紀行文、紀貫之土佐日記』(堀江敏幸訳)。
 十三歳から四十余年に及ぶ半生を綴った菅原孝標女更級日記』(江國香織訳)。
 燦然と輝く王朝文学の傑作を、新訳・全訳で収録。

帯紹介文より

河出書房刊「池澤夏樹個人編集 日本文学全集 第3巻。


 この巻は歌物語が中心です。歌物語とはいっても、当時の文学はその表現として和歌が欠かせないもとなっているので、どこまでが歌物語なのかというのも漠然としたものかもしれません。ただ、この第3巻に収録されている作品は、日本文学史の中で燦然と輝く「源氏物語」を挟んで誕生したとされています。巻末の解説で編者が語っている通り、同じ歌物語の扱いでも源氏以前以後ではその構成のバランスや物語の中での和歌のポジションの変化も気にしながら読むと面白いのかな、と思いました。



 『竹取物語』は、日本最古の物語と伝えられ、「物語の祖(おや)」とも言われる。遅くとも平安時代初期の10世紀半ばまでには成立したとされ、かなによって書かれた最初期の物語の一つである。(wikipedia
 「桃太郎」と並んで誰もが知っている超有名な昔話。とはいっても、寝物語で聞く分には求婚譚は含まれてなかったと思うのは僕だけでしょうか。全訳を読んだのは多分大学の専門課程の講義の教本だった時だけれでも、一番印象に残っているのはジブリ映画の超傑作「かぐや姫の物語」だったりします。
 一人の女性を巡る右往左往する物語。かぐや姫の存在はある意味ファンタジーだし、美しくも残酷な姫君を奪い合う男たちの姿は滑稽であり、その結末は失恋である。これらのフレーズ、キーワードは訳者の後書きでも語られる通り、まさにモリミーさんの作品に通じるものである。

「かぎりなき思ひに焼けぬ皮衣 袂かわきて今日こそは着め」

僕の身を焦がすアツアツの恋心にも
この火鼠の皮衣は焼けたりなんかしないのさ
君と結ばれる今日は袂を涙で濡らすこともないしね

 まさにモリミーワールドではないだろうか?
 一方で、同じ訳者あとがきでも語っている通り、過度の味付けはしていない。竹取物語が持っている味わいも十分に活きている。森見登美彦かぐや姫の融合。これはまさに奇蹟の出会いである。



 作者、成立共に未詳。物語の成立当時から古典教養の中心であり、各章段が一話をなし分量も手ごろで、都人に大変親しまれたと考えられている。『源氏物語』には『伊勢物語』を「古い」とする記述が見られ注目されるが、一体『伊勢物語』の何がどの位古いといったのかは説が分かれており、なお決着を見ていない。(wikipedia

 知識としては主人公が在原業平と言われており、彼を巡る歌物語らしいというのは知ってたけど、でも今回初めて全文を読むなかで、訳者あとがきで述べられてるように恋物語だけではないんだなと改めて知りました。
 そして今回の訳ですが、まさに主人公を巡る散文詩のようにリズムカルな訳。一つ一つの段は短い。韻文仕立てで無駄なものを削ぎ落とし、よりリリカルな美しさを見せています。
 もしかしたら一般的な伊勢物語の訳とは大分違うかもしれませんが、「三十一音の中に、下手をすれば散文で原稿用紙二十枚分ぐらい書かないとあらわせないくらいの情報と情感がつまっている」(訳者あとがき)歌物語としての伊勢物語の本質を浮かび上がらせています。
 また、川上弘美訳は、和歌の訳も秀逸。特に多くのレビュアーが取り上げている第30段の超意訳と、第4段や第9段の訳が個人的に気に入りました



「月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身一つはもとの身にして」

月も
春も
なにもかもすべて
わたくし以外は
かわりはててしまった
わたくしだけがここに

第4段より

「名にし負はばいざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」

おまえが都という名ならば
鳥よ
答えておくれ
わたくしの思いびとは
みやこで今
生きてらっしゃるのか
それともまた

第4段より


「逢ふことは玉の緒ばかり思ほえて つらき心の長く見ゆらむ」

逢うのは
一瞬
恨みは
永遠

第30段より



 10編中の1編「逢坂越えぬ権中納言」以外の著者・詳細な成立年代は不詳である。ただし、文永8年(1271年)成立の『風葉和歌集』に同編および「花桜折る少将(中将)」「はいずみ」「ほどほどの懸想」「貝合はせ」から歌が入集しているため、これらの物語が文永8年以前の成立であることは確認できる。10編の物語の中のいずれにも「堤中納言」という人物は登場せず、この表題が何に由来するものなのかは不明である。複数の物語をばらけないように包んでおいたため「つつみの物語」と称され、それがいつの間にか実在の堤中納言藤原兼輔)に関連づけられて考えられた結果として堤中納言物語となった[1]、など様々な説がある。(wikipediaより)

 原典、現代語訳も含めて完全なる初読。ついでに言えば現代語訳を担当した中島京子の作品も読んだことがありません。
 いわゆるアンソロジー的短編集。内容もバラエティに溢れていて、クスッと笑えたり、しみじみとしてみたり。いわゆる地の文の訳についても実にウェットに富んでいて、物語の良さを引き出していると思います。
 その中でも一番の読みどころは、31文字の和歌の現代語訳を、31文字の現代短歌として仕上げているところ。

「おぼつかぬ憂き世そむくは誰とだに 知らずながらも濡るる袖かな

 なぜかしら 出家なさるはどなたかを 知らぬながらももらい泣きする

「冬くれば衣たのもし寒くとも 鳥毛虫多く見ゆるあたりは

 冬になりゃ暖かいわよ毛がいっぱい 見てよこの部屋毛虫がいっぱい

 訳者は、作中に訳が入る事で、読書の流れを中断する事を良しとせず、この難業に挑んでいる。この心意気は凄い。時として、ただ現代語訳をするよりも、歌の根底にある歌い手の心情、物語としての面白さがより伝わってくると思うのは、気のせいでしょうか。


『土佐物語』


日本文学史上、おそらく初めての日記文学である。紀行文に近い要素をもっており、その後の仮名による表現、特に女流文学の発達に大きな影響を与えている。『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、『紫式部日記』、『更級日記』などの作品にも影響を及ぼした可能性は高い。延長8年(930年)から承平4年(934年)にかけての時期、貫之は土佐国国司として赴任していた。その任期を終えて土佐から京へ帰る貫之ら一行の55日間の旅路とおぼしき話を、書き手を女性に仮託し、ほとんどを仮名で日記風に綴った作品である。57首の和歌を含む内容は様々だが、中心となるのは土佐国で亡くなった愛娘を思う心情、そして行程の遅れによる帰京をはやる思いである。諧謔表現(ジョーク、駄洒落などといったユーモア)を多く用いていることも特筆される。(wikipedia)

 「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとしてするなり」、超有名な書き出しであり、受験勉強なんかしていたら絶対一度は見たことがあるはず。でも、これまたやっぱり中身は読まれていない作品なのでは、と思います。
 そんな作品の現代語訳にあたって、訳者は巻頭・巻末に土佐日記を著した時の紀貫之の心情、作中でも()書きでツッコミのような補完を創作、挿入している。訳者はメタ的構造を意識して、と書いている。そんな訳者の狙いは分からないでもないですが、それ以前に、いわゆる本文部分の訳が異常に読みづらい。なにしろ、仮名文の走りである「土佐物語」、それを意識してか訳文の殆どが平仮名なのである。こうなるともう中々頭に入ってきません。せめて、段組で工夫してもらえればもっと読みやすかったと思うのですが。。。



 東国・上総の国府に任官していた父・菅原孝標の任期が終了したので寛仁4年(1020年)9月京の都(現在の京都市)へ帰国(上京)するところから起筆し、源氏物語を読みふけり、物語世界に憧憬しながら過ごした少女時代、度重なる身内の死去によって見た厳しい現実、祐子内親王家への出仕、30代での橘俊通との結婚と仲俊らの出産、夫の単身赴任そして康平元年秋の夫の病死などを経て、子供たちが巣立った後の孤独の中で次第に深まった仏教傾倒までが平明な文体で描かれている。製作形態としてはまとめて書いたのだろうと言われている。(wikipedia)

 これまた原典も訳者である江國香織さんの作品も読んでおらず、どちらもこれが初体験。日記とはあるものの、「土佐物語」が純然たる創作紀行日記なのに対して、こちらはある女性(作者がモデル)の一代記。
 現代語訳にあたって、江國さんは相当に工夫をしていると思います。「土佐物語」の堀江訳と同様に現代文学色を出そうと思ったが、「そんなことをしなくても、奇妙かつ十分に現代的でした」(訳者あとがき)とあるとおり、技巧に走ることなく、ただ原典の持つ味わいを引き出す事に専念してると思います。物語が進むにつれ、主人公の語り手も年を重ねていく。文章のリズム、スピード、物語の捉え方、すべてに年月の流れが感じられます。そこにはきらびやかな平安朝の宮中物語ではなく、ただ平凡に月日を重ねていく一人の女性の姿が描かれていく。
 さらに一般的な歌物語の現代語訳はまず元の和歌があり、続いてそこに現代語訳が添えられている事が多いですが、江國訳に関していば、先に現代語訳があり、その後和歌が掲載されています。この構成を取ることにより、物語のリズムの美しさが際立つと同時に原典の和歌に込められた思いがより心に伝わって気がする。もちろん構成には良し悪しがあるので、どちらがいいとは言えませんが、少なくとも江國訳にとってはこの構成がピタリとハマったかなと思います。

採点  4.5