日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集08)(☆4.3)

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まずはあらすじ。

 上代から中世の仏教の興隆を背景としながら、人間の無茶な生き様、性愛への欲望を多様な側面から説いた、説話集4作を収める。
 天女との共寝を夢想する男を描く「天女の像に恋した縁」(「日本霊異記」現代語訳:伊藤比呂美)、能「道成寺」の原話ともなった「女の執念が凝って蛇となる話」(「今昔物語」現代語訳:福永武彦)、「こぶとり爺さん」「舌切り雀」として知られる「奇怪な鬼に瘤を除去される」「雀が恩義を感じる」(「宇治拾遺物語」現代語訳:町田康)、隠遁を目指す僧の生臭さを描いた「玄賓、大納言の妻に懸想する事。そして不浄観の事」(「発心集」現代語訳:伊藤比呂美)など、選りすぐりの説話105編。 


帯紹介文より

河出書房刊「池澤夏樹個人編集 日本文学全集 第8巻」。

 池澤夏樹が選者となって、現在発行中の日本文学全集。世界文学全集はすでに刊行済で古本をぼつぼつと買い集めているが、この日本文学全集は発刊の度に新刊で購入中。この全集の売りの一つは、古典作品の現代作家の新訳を一部収録していることだろうと思う。中には、樋口一葉の「たけくらべ」の川上未映子が訳すという謎の企画(わざわざ現代語訳しなくてもいいと思う・・)もあるけれど、概ね楽しみにしている。但し、全然読書ペースがおいついていないのだが・・・。

 さて、この巻は説話集である。帯の池澤夏樹の文には「説話文学は仏教を説きながら、実は人間のふるまいの放縦を語る。教義からの野放図な逸脱はむしろ哄笑を誘うだろう」とある。なんだか説話集というと堅苦しい感じがする(実際にそういう話もあるだろうけど)が、この配本を読むと池澤夏樹の言うとおりむしろ面白い。もちろん爆笑とはいかないけれど、読みながらクスッと出来る楽しさがある。そして、説話集として統一されている分、訳者の個性が滲み出ていて面白い。



 平安時代初期に書かれ、伝承された最古の説話集で『日本霊異記』と略して呼ぶことが多い。著者は景戒。wikipediaによると、「奇跡や怪異についての話が多い。『霊異記』の説話では、善悪は必ず報いをもたらし、その報いは現世のうちに来ることもあれば、来世で被ることも、地獄で受けることもある。説話の大部分は善をなして良い報いを受けた話、悪をなして悪い報いを受けた話のいずれか、あるいはその両方だが、一部には善悪と直接かかわりない怪異を記した話もある。仏像と僧は尊いものである。善行には施し、放生といったものに加え、写経や信心一般がある。悪事には、殺人や盗みなどの他、動物に対する殺生も含まれる。狩りや漁を生業にするのもよくない。とりわけ悪いこととされるのが、僧に対する危害や侮辱である。と、これらが『霊異記』の考え方である。となっている。

 訳者の伊藤比呂美によると「日本霊異記も発心集も、読み始めた時にそのエロさに辟易、いや興奮して夢中になりました。」と語っているとおり、意外なほどに性愛の話が多い。いや性愛は人の欲の基本だから多いのか。今回の現代語訳もとりあえずある意味ストレートなぐらいの訳で面白い。


(原文書き下し)
 我は、越前国加賀郡大野の郷の畝田の村に有る横江臣成人が母なり。我、齢丁ナリシ時に、濫しく嫁ぎ、邪婬にして、幼稚き子を棄て、壮夫と倶に寝ぬ。多の日歴て、子乳に飢えぬ。・・・(後略)

(訳)
 「私は年若い頃、男と気ままに関係を結び、多淫にふけり幼い子を捨て、若い盛りの男と情交しました。長い月日の間、子供達は乳に飢えていました。・・・(後略)

小学館「新編日本古典文学全集」より 

 「若い時に、思慮も分別もなくセックスばかりしてました。やたらにセックスがしたくてたまらなくて、幼い子をほったらかして男と寝てました。ずっとずっとそうでした。ほったらかされて、子どもたちは乳に飢えていました。

本作より


『今昔物語』


 平安時代後期の日本最大の説話集。作者未詳。 31巻。 1040話。天永~保安 (1110~24) 頃成立か。天竺 (インド) ,震旦 (中国) ,本朝仏法,本朝世俗の4部に分けられ,説話の内容によって整然と分類配列される。(ブリタニカ国際百科事典より)

 様々な後世の作家・作品に影響を与えた説話集。特に芥川龍之介はその影響が濃く、「芥川は今昔物語集によって作家になり、今昔物語集は芥川によって古典になった。」(本作解題より)とも言えるらしい。そして本作の現代語訳を行っているのは福永武彦。編者池澤の実父であり、今巻の中で唯一新訳ではなく既訳の再録である。叙情的かつリリカルな日本語の使い手でもあった福永の訳は実に正統派であり、冒険的な面白さはないが安心して心地良く読める。

(原文書き下し)
 女の云く、「我が家にはさらに人を不宿ず。而るに、今夜君を宿す事は、昼君を見始つる時より、夫にせむと思う心深し。然れば、『君を宿して本意を遂む』と思ふに依て、近き来る也。我夫無くして寡也。君哀と可思き也」と。(後略)

小学館「新編日本古典文学全集」より

 「わたしの家では、一度もひとさまをお泊めしたことはございません。それを今晩お泊めしましたのは、昼間あなたにお目にかかりまして、夫になっていただきたいと思ったからでございます。それであなたをお泊めしたうえからは、この気持ちを察していただこうと、こうして忍んで参りました。わたしは夫のないやもめ暮らし、お情けをかけてくださいませ」

本作より



 題名は、佚書『宇治大納言物語』(宇治大納言源隆国が編纂したとされる説話集、現存しない)から漏れた話題を拾い集めたもの、という意味である。全197話から成り、15巻に収めている。古い形では上下の二巻本であったようだ。収録されている説話は、序文によれば、日本のみならず、天竺(インド)や大唐(中国)の三国を舞台とし、「あはれ」な話、「をかし」な話、「恐ろしき」話など多彩な説話を集めたものであると解説されている。ただ、オリジナルの説話は少なく、『今昔物語集』など先行する様々な説話集と共通する話が多い。(wikipediaより)

 町田康が現代語訳に挑戦した、本巻の白眉。原典の、単純な説話集というよりも、どこか不気味な後味だったり、あるいは何が何だか何故その展開だったりする収録作の作風に、町田康の「パンク」としかいいようのない訳文がピタリと嵌まっている。面白いのはその挑戦的・独創的な訳にも関わらず、きちんと古典の香りが残っている事。さらに言えば古典の香りはあるのに、町田康の完全な新作と言われても信じてしまうほどの自家薬籠っぷり。原点では短いセンテンスでも、とにかく埋める、埋める、膨らます。宇治拾遺物語町田康、この出会いは奇跡、全訳でないのが残念無念。。

(原文書き下し)
 今は昔、道命阿闍梨とて、傅殿の子に色に耽りたる僧ありけり。和泉式部に通ひけり。経をめでたく読みけり。

(訳)
 今は昔、道命阿闍梨といって、道綱卿の子に、色事にふけっている層がいた。和泉式部に通っていた。この僧は経を読むのがまことにみごとであった。

小学館「新編日本古典文学全集」より 

 これはけっこう前のことだが、道命というお坊さんがいた。藤原道綱という高位の貴族の息子で、業界でよいポジションについていた。そのうえ、声がよく、この人が経を読むと、実にありがたく素晴らしい感じで響いた。というと、ああそうなの。よかったじゃん、やったじゃん、程度に思うかも知れないが、そんなものではなかった。じゃあどんなものかというと、それは神韻縹渺というのだろうか、もう口では言えないくらいに素晴らしく、それを聴いた人間は、この世にいながら極楽浄土にいるような心持ちになり、恍惚としてエクスタシーにいたるご婦人も少なくなかった。
 そんなことだから道命は貴族社会のご婦人方の間ではスターで、道命の周囲には道命と一夜の契りを結びたいというご婦人が常時参集して、手紙やなんかを送りまくっていた。
 けれども、道命はお坊さんである。いくらファンのご婦人が参集して入れ食い状態だからといって、そのなかの誰かと気色の良いことをするなんてことはあるはずがない。やはりそこは戒律を守り、道心を堅固にして生きていかなければならない。のだけれども、やはりそこはなんていうか、少しくらいはいいかなあ、というか、あまり戒律を守りすぎても、逆に守りきれないというか、そこはやはり、すべてか無か、みたいな議論ではなく、もっと現実に即した戒律の解釈というものが必要、という意見も一方にあるため、道命としてもこれを無視できず、少しくらいの破戒はやむを得ないという立場をとって、必要最低限度の範囲内で女性と遊んでいた。ただし、道命くらいに持てる僧だと、必要最低限度といっても、その値は結構大きく、普通の人から見れば完全にエロ坊主、という域に達していた。
 そんな状況のなかで、道命が夢中になっていた女性がいた。和泉式部という女性で、おそらく彼女はその頃、生きていた女のなかで最高にいい女だった。そして、ただいい女というだけではなく、そそる女だった。色気のある女だったのである。それもただの色気ではなく、壮絶なほどの色気で、彼女を見た男は貴賤を問わず頭がおかしくなり、また、ムチャクチャになった。死んだ者も少なくなかった。道命もまたそうで、普通であれば、ひとりの女のところに複数回通うということはなく、一回でやり捨てに捨てたが、和泉式部のところに限っては何回も通っていた。

本作より


『発心集』


 鎌倉初期の仏教説話集。『方丈記』の作者として知られる鴨長明(1155-1216年)晩年の編著。建保四年(1216年)以前の成立。「長明発心集」とも。仏の道を求めた隠遁者の説話集で『閑居友』、『撰集抄』などの説話集のみならず、『太平記』や『徒然草』にまで影響を及ぼし、これぞ説話の本性というべきものを後世に伝えている。
盛名を良しとせず隠遁の道を選んだ高僧(冒頭の玄賓僧都の話など)をはじめ、心に迷いを生じたため往生し損なった聖、反対に俗世にありながら芸道に打ち込んで無我の境地に辿り着いた人々の生き様をまざまざと描き、編者の感想を加えている。人間の心の葛藤、意識の深層を透視したことで、従来の仏教説話集にはない新鮮さがある。(wikipedia)

 説話集はここに至って、説話文学としての一つの到達点を迎える。往生に至った話、あるいは至らなかった物事の顛末ではなく、むしろそこに至る過程にその主体が置かれているような気がする。この巻に収録されている他の説話集に比べても、作者(鴨長明)の物語、あるいはその登場人物対しての批評が多いのも特徴なのかもしれない。
 訳者は「日本霊異記」と同じく伊藤比呂美。「日本霊異記」と「宇治拾遺物語」の間にある時代の流れ、あるいはその性質を踏まえ、意識して文章も書き分けている。「セックス」と「せっくす」の使い分けもなんだか納得できるのである。


 僧の義覚は、百済の国の人である。百済の国が滅びたのは、後の岡本の宮に天下を納めていた斉明帝のみ代だった。義覚は日本にやって来て、難波の百済寺に住んだ。
 義覚は身長が七尺もあった。仏の教えについて、よく勉強して何でもしっていた。般若心経を心に覚え、声に出して、唱えた。

伊藤比呂美訳「日本霊異記」より 

 僧賀上人は、子どもの頃は評判でした。経平の宰相の子で、慈恵僧正の弟子で、生まれは良く、良い師匠につき、頭も良い、理解も深い、行く末を嘱望されていたものであります。しかし、僧賀本人は、物心ついてからというもの、俗世がいやでいやでたまらず、金にも名誉にも興味がなく、極楽に生まれることばかりひそかに願っていたのでありました。

伊藤比呂美訳「発心集」より



採点  4.3