『死者の書』(☆4.9) 著者:ジョナサン・キャロル(浅羽莢子/訳)



恩田陸氏推薦――
「静かに沁みてくる不気味な美しさ。出口のないキャロル・ワールドはここから始まる。」

ぼくの目の前で少年がトラックにはねられた。事故のあと町の人間が聞いてきた。
「あの男の子、はねられる前は笑ってました?」笑って?
ここはアメリカの小さな町。一人の天才作家が終生愛した町。ぼくは彼の伝記を書くために逗留している。
でも知らなかった。この世には行ってはならない町があることを。
鬼才作家の名を一躍高からしめたデビュー長編。衝撃のダーク・ファンタジイ。訳者あとがき=浅羽莢子

東京創元社紹介より

ジョナサン・キャロルである。
萌えのライバル(?)月野さん、ゆきあや&よもさんのカップル(?)が大絶賛の本書。
ゆきあやさんは猫5匹、よもさんに至っては5点満点(おそらく)の6点だ。
満点を越す傑作、おそらくゆきあやさんも6匹ぐらい差し出したかったはずだ。

そもそも本格ミステリ&絵本以外の海外小説を読み切るのはいつ以来だろう。
プルースト失われた時を求めて』は読み終えてない(というかほとんど進んでいない)ので除外だ。
いや、そもそも本格ミステリでもクイーン&ヴァン・ダイン以外は最近とんと読んだ記憶が無い。

だから最初は海外小説独特(と勝手にイメージしている)の行間表現に戸惑った。
登場人物の名前が憶えられず、何度もページを行き来した。
そのうちだんだん作品のリズムに慣れてくる。
慣れてくると同時に、街を訪れた伝記作家志望の高校教師カップルの前で不思議なことが起こり始め、作品の世界に取り込まれる。
取り込まれると同時に、物語は一気に不気味さを纏い私を包み込む。
作中の高校教師を包む街の歴史が明らかになるにつれ、私を包みこむ不気味さも一気に濃度を増す。
そしてクライマックスの駅で物語の目的が一点に収束した時、私の頭はマーシャル・フランスという名のジョナサン・キャロルに鷲掴みにされる。
突然物語はエピローグに飛ぶ。街の物語の影から逃れられない主人公のように、私はジョナサン・キャロルの物語から逃れられなくなる。

この物語が醸しだす怖さは、人の心に潜む何かを鷲掴みにする怖さがある。
いわゆる直接的な怖さはその沸点こそ高いが、その怖さから覚めるのも一瞬だ。
しかしこの物語は、物語として語られる怖さとして行間のすべてに潜んでいるような気がする。
この種の怖さは、いわゆる日本的な怖さのかたちなんだと思う。
海外の作家によって書かれたおそらくは典型的な海外ホラー。
それでいてどこかその怖さに懐かしさを感じる作品。
これが海外の作家に書かれたという事が実に口惜しい、そして実に素敵な作品だと思う。

残念ながら僕は満点をつけない。
その原因はこの作品にある訳ではない。むしろ作品の完成度は満点でも文句ない。
ただ海外小説を読みなれていない事によって、この小説の面白さを感じ取れなかった部分があったのではないうかと思うからだ。
もっともっと海外小説を読んだ上で、もう一度この作品に帰ってみようと思う。
そうすれば満点を越える面白さを再発見できるような気がするからだ。
そういう意味では、これは大変贅沢な読後感かもしれない。

ここまで書いて思い出した。
海外小説を読み切ったのはいつ以来だろうと書いたが、『お人形と結婚した男』を読んだじゃないか。
あの作品を忘れていたのはショックだ!!
この作品は大好きだ。でも『お人形と結婚した男』も好きなのだ!!
『館島』『邪魅の雫』と同じ点数なぐらい好きなんだ!!