『エンド・ゲーム ~常野物語~』(☆3.2)



裏返されたら、どうなる?正体不明の存在「あれ」と戦い続けてきた一家。最後のプレイヤーとなった娘が誘い込まれたのは、罠と嘘の迷宮だった。「常野物語」最新長編。


『光の帝国』収録作、「オセロ・ゲーム」の続編。
ある意味シリーズの中でもダークサイドというか異色な手触りの作品でしたが、その続編たる作品もさらに突き抜けた作品ですなあ(笑)。

「あれ」を「裏返す」「裏返される」という抽象的ながらもどこか薄ら寒いものを感じさせたキーワードが、その具体的な結果を含めて強烈に突き刺さります。
もう読んでる途中は「常野物語」というよりは、SFホラーのノリですもんねえ。
どうしても常野一族というのは、自らの運命を受け入れそれを完遂させることによって運命を動かすというイメージがあるのでこの「裏返す」という行為にどうしても違和感を感じちゃうんですよね~。
その原因はやっぱり「あれ」がなんなのか、未だに見えないことに原因があるかもしれませんが(笑)。

まあ、最後の力技的世界の反転は強烈でしたが(笑)。
そこに至る伏線はあまり分からなかった(あるいは理解できてなかった?)もんなあ~。
それでも、ああなるほどと思わせるのは恩田マジックでしょうか(笑)。

物語のエピローグの突き放し方もいわゆる恩田節、よく意味がわかりません。
どこか人工的じみた、いわゆるテレビゲームのような印象を感じたのは「ゲーム」や「プレイヤー」という表現のせいなのか、それとも描写的魅力に欠けているからなのか。
後半部分には実験的にな文章表現が垣間見られますが、そのスタイルは恩田作品には手を変え品を変えみられるもの。ただこの作品に関しては魅力に還元できるというよりは、ただ単純に読者を迷路に迷わせるだけに収まった気がしてしょうがありません。

ところで、この作品を読んでいるとあの原田知世主演『時をかける少女』を思い出してしまいました。
なぜ思い出したかというと、この作品の重要なフレーズの一つ、「洗濯する」という行為が映画においてヒロインが経験したことにダブって感じたからですね。でもその突き詰め方という意味では映画の方の完成度が高かった気がするなあ。

さらには映画『時を~』の原点ともいえる福永武彦の『夜の時間』という中篇のそぎ落とされた純粋さを追求した作品に較べると物足りない。
まあそうはいっても、普通に読んだらそこまで深く考える必要があるのかという気もしますし、見せるという意味では『エンド~』の方が読みやすいんですけどね。

うーん、それにしてもここでこういった作品が出てくると、「蒲公英草紙」系の「常野物語」的作品が書かれる可能性には期待できないのかなあ。。。