『夕凪の街 桜の国』 著者:こうの史代



昭和30年、灼熱の閃光が放たれた時から10年。ヒロシマを舞台に、一人の女性の小さな魂が大きく揺れる。最もか弱き者たちにとって、戦争とは何だったのか……、原爆とは何だったのか……。漫画アクション掲載時に大反響を呼んだ気鋭、こうの史代が描く渾身の問題作。。

yahoo紹介より

第9回手塚治虫文化賞新生賞、第8回文化庁メディア芸術祭大賞受賞作品。

全部で103ページという薄い漫画だが、中に詰まってるメッセージの重さは物凄く重い。
原爆を描いた漫画というと不朽の名作「はだしのゲン」があるが、それとはまた違ったアプローチ(「はだし~」が原爆の放射能を浴びた少年がそれに負けず前を向いて歩いていこうとする漫画ならば、「夕凪~」はなぜ原爆で生き残ってしまったのかというアプローチの漫画)で原爆を捉えた漫画として読み継がれるべき漫画だと思う。


前半の「夕凪の街」の主人公があの日を生き残ってしまった後悔と8月6日の風景の幻影におびえながら、原爆症を発症し死んでいく。
最後の方の台詞「ひどいなあ、てっきり死なずにすんだ人かと思ったのに」という部分に自己矛盾を超えた主人公の女性の叫びが伝わってくる。
後半の「桜の国」は「夕凪の街」で死んだ女性の弟の子供である女の子が主人公となり、被爆2世という問題に向かい合う。
原爆を浴びた母を失い、また何か怪我や出血をするたびにやはり被爆者の祖母が過剰なまでの心配をする。そのたびにヒロインは被爆2世という現実をつきつけられる。
さらに物語は彼女の弟の交際問題に発展していく。

このあたりの発想というのは、原爆症に限らずかつてのハンセン氏病のような伝染病と考えられ人権を剥奪され隔離政策をとられた多くの人たちの感じてきた問題と似ているのかもしれない。この登場人物が生きてきた環境はだれの身にも降りかかる可能性があるということかもしれない。

話を原爆に戻す。
僕自身が広島出身ということもあり、平均的な日本人に較べると原爆に関しての意識というのは割と高い方だとは思う。
また祖父が長崎で被爆しており、僕自身もまた被爆3世ということになる。祖父は昨年亡くなったが、その肌にはケロイドの後が多く残っていた。
つまりは原爆というものを深く考える事ができる環境にあったのだ。
しかしながら、この後半の漫画「桜の国」で描かれる原爆2世の視点という部分に関しては意識したことがなかった。
もちろんそれに関して過剰に意識する事はないし、また隠すべき・恥じるべき事ではない。
ただそれは決して忘れていいという事ではないと思う。
世界唯一(著者は後書きで、劣化ウラン弾も含めて「数少ない」と訂正すべきだ、と語っている)の被爆国の人間として、語り継げることはなにかあるのではないかと、改めて感じさせてもらった漫画でした。