『チョコレートコスモス』(☆4.9)



「まだそっち側に行ってはいけない。そっち側に行ったら、二度と引き返せない。」
幼い時から舞台に立ち、多大な人気と評価を手にしている若きベテラン・東響子は、奇妙な焦りと予感に揺れていた。
伝説の映画プロデューサー・芹澤泰次郎が芝居を手がける。
近々大々的なオーディションが行われるらしい。そんな噂を耳にしたからだった。
同じ頃、旗揚げもしていない無名の学生劇団に、ひとりの少女が入団した。
舞台経験などひとつもない彼女だったが、その天才的な演技は、次第に周囲を圧倒してゆく。
稀代のストーリーテラー恩田陸が描く、めくるめく情熱のドラマ。演じる者だけが見ることのできるおそるべき世界が、いま目前にあらわれる!

ただ一言、とにかく面白かった。
恩田作品は基本的に好きなのだが、読後感の気持ちよさといういう意味ではその中でも一番かもしれない。
とにかく小説内で繰り広げらる濃密な演劇模様に圧倒的なリアリティがある。まるで目の前で舞台が繰り広げられているような、そんな息遣いの聞こえてくる文章にぐいぐいと引き込まれていった。この吸引力は最近読んだ小説の中でもトップクラスだと感じた。

と同時に、物語に引き込まれたの、物語の登場人物にかつて演劇人の端くれだった自分を重ねて見てしまう部分があり、なおさら物語に感情移入してしまった部分もあるのだろう。
登場人物が感じる壁の存在。その壁は存在することは分っていても、それがなんなのかが見えないという不安感。
自分の今進もうとしてる道が正しいのかどうかすら分らないもどかしさ。
それらの積み重ねの見せ方が的確だからこそ、クライマックスで壁の意味に彼女達が気付く瞬間のカタルシスはが圧倒的なんだと思う。
それはおそらく僕が掴もうとしながら最後まで掴めなかった感覚なのかもしれないと思った。
そう思うと、正直物語の登場人物に嫉妬してしまった。

読みながらかつて一緒に芝居をしていた一人の女優さんを思い出した。
彼女はこの小説の主人公の一人、飛鳥と同様に決して容姿に恵まれた存在ではなかったが、一度舞台にあがると観客を一気に惹きつける事の出来る女優だった。
今でも本人のやる気がもっとあったなら大きい舞台にも十分立てるだけの才能があった人だと思っている。
ただ彼女自身がその才能に気付かず持て余していたような気がする。作中飛鳥の劇団仲間である巽の感じたもどかしさは、当時彼女に感じていた僕のもどかしさに近いものがあるような気がする。そして巽になれなかった自分に後悔を憶えてしまった。
彼女もまた作中の飛鳥のように悩んでいたのだろうか。

この小説を書いた恩田さんにも嫉妬してしまう。
生き物である演劇というものを生きたまま小説に閉じ込める事に成功しているからだ。
生きているからこそ、この物語の先にある『チョコレートコスモス』という舞台の存在を夢見てしまう、幸福な余韻が感じられるのだと思う。
この余韻は「三月は深き紅の淵を」で感じた自分だけの小説の存在に似ていると思う。

恩田ファンも恩田ファンで無い人にも是非手にって欲しい作品、素敵でした。