「広島原爆、そして靖国」

昭和20年8月6日広島に原子爆弾が投下されてから21年。今年も8月6日がやってきました。
この週末は祖母宅に出掛けていたので一日遅れの記事にはなりますが、広島県人としてはやはり触れないといけませんよね。

昨年亡くなった祖父も原子爆弾被爆しているので、僕は被爆3世ということになるのでしょうか。
とはいっても祖父は広島ではなく長崎で被爆しているのですが。

長崎の被爆3世であり広島に生まれ育ったというのもあるいは因縁かもしれませんね。
それはともかく、やはり小さい頃から平和教育を受けていましたし、原爆では市内の中学校としては最大の死者を出した(ちょうど8月6日が学徒動員の担当だったそうです)中学校の出身ということもあり、何度かボランティアで平和記念式典に参加したこともあります。

今年も大勢の人が式典を訪れ、また参列した国々の数も過去最多だったそうです。
このように原爆に関して今でも多くの人が関心を持っていると同時に、その一方で原爆に関する知識を持っていない人の数も年々増えているようです。
終戦後日本は経済大国として世界を代表する国のひとつと成長したわけで、その中で過去の歴史が風化してしまうというのは致し方の無い現象であるかもしれません。

しかしながら第2次世界大戦以降も、世界各地で戦争は起こっています。
そしてそこにおける死者というのは、戦争従事者よりも一般の人々の方が圧倒的に無くなっているかと思います。
また原爆以降も、水爆や劣化ウラン弾枯葉剤といった永続的な被害を戦地に残してしまうような兵器も数多く使用されています。

確かに世界各国が核を保有するすることによって戦争の抑止に繋がっているという見方もあると思います。
しかしながら、やはり多くの人を殺傷するだけではなく、その土地に悪影響を残し続ける化学兵器の存在を僕はやはり認める気にはなれません。

かといって、今更原子爆弾投下の是非を問ったとしても問題は解決しないのかもしれません。
個人的にはやはり原子爆弾の投下を許すことはできませんし、対戦当時の日本軍がアジア諸国への侵略を行った事は間違っていると思います。
ただ歴史というのは後から振り返って出来るという側面もありますし、その行為の歴史的な是非はともかく当時の政治や戦略というのも考慮すると簡単に解決する問題ではないと思います。

むしろこれからやるべき事は、原爆をはじめとした化学兵器の威力を正確に把握・検証し、それがいかに非人道的であるのかという事を世界各国で考えていくべきなのだと思います。戦争に正義も悪もありません。そこには多くの死があるだけです。
この事実にいかに目を背けずに考えていくか。そしてその「考える」という行為を未来の人々に対して残していけるかどうか。
確かに国防の大部分を米軍の力に頼らざるを得ない日本の現状において、アメリカを中心とした戦争に関してNoというのは難しいかもしれません。
それでもやらなければいけない事が、広島・長崎の被爆都市だけではなく、日本国としてあるような気がします。

その一方で、東アジア諸国との関係が悪化の一途を辿るいまこそ、もう一度第2次世界大戦の中で日本という国が取った行動を検証し、一国家としての歴史観を国民が共有していく必要があるような気がします。
靖国神社参拝に関してはあくまで内政の問題であり、韓国や中国がとやかく言う問題ではないというのが僕の考えです。
とはいってもその一方でそれらの国の心情というのも理解できる部分があります。
なにより必要なのは参拝の是非に関する根拠であり、内閣総理大臣、あるいは官僚として参拝する以上、これらの問題は個人の考えと切り捨てるのではなくきちんと明示していく必要があるのではないでしょうか。

とにかく、世界の核保有国の現役国家元首の皆さんには、是非在任中に広島・長崎の原爆資料館を来訪していただき、化学兵器がどうな結果を招くものなのか見つめていただきたいと思う今日この頃でした。