『三人目の幽霊』 著者:大倉崇裕



憧れの大手出版社に入った間宮緑(まみやみどり)が研修を終えて受け取った辞令は、"「季刊落語」編集部勤務を命ず。"
座布団に坐って面白い噺をしては客を笑わせる、あの落語…?その場で辞表を書こうかと世を儚みかけたが、せっかく入ったのにもったいない、どうにか気を取り直した。年四回発行の落語専門誌「季刊落語」の編集部は総員二名。
唯一の上司兼相棒はこの道三十年の編集長、牧大路(まきおおみち)。二と二を足して五にも十にもしてしまう人並み外れた洞察力の主である。牧の手にかかると、寄席を巻き込んだ御家騒動、山荘の摩訶不思議、潰え去る喫茶店の顛末…"落ち"が見えない様々な事件が、信じがたい飛躍を見せて着地する。
時に掛け合いを演じながら、牧の辿る筋道を必死に追いかける緑。そして今日も、落語漬けの一日が始まる―。



落語界を舞台にした連作短編集である。
現在のミステリ界において落語を舞台としたミステリといってすぐに思い出されるのは、北村薫氏の「円紫さんと私」シリーズ。
主人公(語り手)が女性であり、探偵がべつにいるというコンビの構成もよく似ています。

ただ北村さんの方はあくまで落語噺を下敷きに、あくまで日常の謎を解明していく形式であるのに対し、この短編集は落語界そのものを舞台に落語噺を地でいくような事件を扱っています。
いうならば、北村さんがあくまで変化球投手なら、こちらは愚直にストレートだけを投げ込む剛球派というところでしょうか。

剛球派とはいっても、中身の方は丁寧に組み立てられた正統派のミステリー。北村作品と比較しても人間模様という部分に対しての俗っぽい匂いが強い気がする。
このへんに関しては、読む人によっては若干古臭いと感じられかもと思うぐらい、まったなのである。
しかし、それぞれの短編を読み終えたあとの優しくもどこかほろ苦さが残る後味は決して悪いものではないと思う。
このあたりは主役を努める二人が醸し出す雰囲気の何処か洒脱なところと、落語界という特殊な仁義と感性で構築された世界をうまく作中に溶け込ませている部分が多いからのではないでしょうか。
この世界観の構築が上手くいかないと、石持さんの作品にみられるようなラストでの悪い意味での置いてけぼりをくらってしまうような気がしますね。

作中に登場する落語噺の、面白さのツボを心得た紹介の仕方というのも作者の落語に対する造詣の深さを感じさせますし、一般的な感性で落語を聴いてみたいと思わせるのは、「円紫さんシリーズ」よりもこちらの作品の方が上かもしれません。

全体としての物語の見せ方には若干物足りなさは残るものの、これは執筆経験を重ねていけば十分補えるものだと思いますし、非常に好感を持てる上質の短編集だと思います。